自分のこと、バカだと思ってない?「自己責任」の考え方|熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミー
こんにちは。熊本の教育&勉強攻略アドバイザー、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です。
今日は「自己責任論」について語ります。というのも、どうもこの言葉の強烈な印象に比べて、その正確な認識がなされていない気がしたからです。この「自己責任」という言葉が、自分を傷つける言葉になっていては本末転倒なんです。これは武器として磨くべきだ。
例えば、勉強を通して「自分はなんてバカなんだ」とか考えてしまう人がいます。これもあまりに愚かな発想です。そしてこの愚かな連想ゲームと自己責任論はどうも繋がってる気がします。
熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミーは、こういった言葉の定義1つ1つからこだわる学習塾です。なぜなら、本当に大切なのはこの世界の認識であって、現実に対する解釈だからです。そして言葉を使って私たちは思考しますから、言葉に込めたニュアンスは毒にもなるし薬にもなるわけです。どっちとして飲むかは正にあなた次第。今日はそんな話をしていきたいと思います。
自分のことバカだと思ってない?
自分のことですから、自分がどう思おうが自分の勝手でしょ、と言われてしまえばそこまでです。ただ、それが大いなる誤解であり、その誤解のせいで人生が蝕まれてしまうリスクが分かっている以上、どうしても口を挟みたくなるのが性(さが)です。
あなたはバカではない。もしあなたがバカならば、全人類皆バカです。
「バカ」という言葉ほど分かりやすくて使いやすい悪口はありません。だから皆んな安易に使ってしまいます。だから小さい子でもこの言葉は知っている。「アホ」も同じような部類ですが、意味は違います。
バカとは、言われるまで気付けない人のことです。でもそれは「言われるまで」であって、言われたら気付ける。だからどんな人でもどこかの分野ではバカだと思っています。誰でも知らないことはあるからです。「バカ」という言葉が印象悪いのでネガティブなイメージが付き纏いますが、全ての人類が多かれ少なかれ部分情報で生きていくしかない限界のある存在である以上、誰でも何かを知らない「バカ」なのです。そして、その意味で言えば、バカという言葉自体に悪口以外の意味はありません。全人類が例外なく限界のある存在であり、その限界のことを「バカ」と言うなら、それは言い方を変えれば「自然」だからです。悪いことでも何でもない。当たり前であり、普通であり、自然なのです。だから悪意がないならわざわざそれを「バカ」と表現する必要はありません。だからバカではない。なんだか哲学みたいな話になってきましたね(汗)
「アホ」はその点、言われても気づけない人のことです。何度同じことを言われても同じ失敗を繰り返す人のことをアホと言います。ここが「バカ」との明確な違いです。
私が勉強という分野において「勉強とは何か」「学びとは何か」「努力とは何か」「やる気とは何か」「教育とは何か」と、1つ1つの定義にここまでこだわるのは、人は言葉で思考し、認識し、理解し、理解したことをベースに行動を取るからです。そもそもの思考の段階で誤解を招くシステムになっているなら、人は大いに誤解にまみれて生きていることになります。そしてその誤解のせいで、壮大な人生の機会損失を被っている。だからこそ「バカとは何か」「自己責任とは何か」という定義が重要になってくるのです。
全部あなたが悪い!?自己責任論とは!
ざっくり言えば、「こちらは必要な情報は全て提供している。それでも結果が出せないのはあなたの責任でしょ?」というのが自己責任論です。ただこれを「全部あなたが悪いんでしょ?」と解釈するかどうかはあなた次第なんです。
問題なのは「責任とは何か」という定義が分かっているかどうか。
おそらく自己責任論を持ち出されて不快感を抱くのは、上記のような解釈をしてしまうからではないでしょうか?「全部こっちが悪いっていうのか!?」と言われると「いや、そういうことではありません」とお答えすることになりますが、「全部こっちの責任だっていうのか!?」と言われると「はい、その通りです」と言わざるを得ません。
では責任とは何でしょうか?その定義を明確にしましょう。
Wikipediaによると「責任」とは、
”後に起きうること、または既に起きたことの原因が、行為者にあると考えられる場合に、その行為自体や行為の結果に関して、対処する任務や義務のこと”
とあります。
例えば勉強に関して言うと、頑張った先にどんな結果になるか、もしくは既に出てしまったテストの結果の原因が、頑張った本人にあると考えられますから、その勉強や結果に関して対処する任務や義務は、その本人にあるよね、ということです。これは当たり前のことです。自分の結果に対する責任は自分で対処するしかないからです。先生が代わりに勉強してあげてテストを受けてあげることはできません。その替え玉行為で捕まった人をニュースで見たことがあります。
でもこの責任論については誰も「だから悪い」とは一言も言っていないのです。良いとか悪いの評価ではありません。ただ、自分のしたことの結果には自分でしか対処できませんよね、というのが責任論の本来のニュアンスです。でも感情の生き物である人間は、ついここに評価を載せて拡大解釈してしまう。だから誤解してしまうのです。
責任は自分で取るしかない。でもそれは、あなたが悪いからではない。あなたの人生はあなたのものだから、そうするしかないというだけの話なのです。
自己責任論を放棄したら教育は終わる
ちょっと過激な言い方をすれば、自己責任論を教育から排除したら、おそらく教育は終わります。教育とは人を育てるための手段ですが、自己責任論のない教育は教育になり得ないからです。
先ほどのような誤解釈が前提にあると、確かに自己責任論は暴論のように思えます。でも、仮にその誤解があったとしても、自己で責任を負えないような生き方を子どもたちにさせたいとは思いません。自分の責任だと思わない人は、自分以外に責任を求めることになります。これが他人のせい、社会のせい、環境のせい、時代のせいという発想の根幹です。
確かに人生において成功するかどうか、大成するかどうかは運次第と言われています。努力遺伝子なるものがあったとされたり、成功者と能力者の相関がそこまで見て取れない以上、法則めいたものはそこには存在せず、結果が出せたか出せなかったかは運次第だというのも分かります。
また、決定論的な見方もあります。生まれた時から自分の人生は決まっているのだというものです。何かを諦めるにはありがたい言い訳ですね。チャレンジするより諦める方がずっと楽でしょう。頑張る必要はなくなるからです。でも死ぬ時の後悔は凄まじいと聞きます。私はそういう死に方はしたくありません。子どもたちにも、、、
そのためには、この「自己責任論」をなるべく正確に伝えることが重要かなと思います。だからどうしたら良いかを一緒に考えれば良いからです。天は自ら助くる者を助く。自分の現実を変えるのは、いつも自分だ。これをしっかり教えていく必要があります。
困ったって誰も助けてはくれないよ。あなたのことをかまってあげられるほど、他の人は余裕があるわけではないからね。自分のことは自分で何とかしようね。これはキツい現実ですが、現実である以上教えるべきものです。助け合いの精神も分かりますが、自分のことを自分でどうにかしようとしている姿こそが、助け合い精神の前提にあるモチベーションのはずです。そして誰かがいつか助けてくれる、、、と待ってる間に、自分でできることを精一杯やるのだという心理的習慣を付けておかないと、結局キツいのはその子なのです。
ということで、今回は久しぶりにちょっと固めの話をしてみました。何かの参考になれば幸いです。
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