軽くしたランドセル(サンポセル)に批判殺到!?でも本当の問題は、、、|熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミー

こんにちは。熊本の教育&勉強攻略アドバイザー、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です。


最近、栃木県の小学生が開発した「軽くしたランドセル」に批判が殺到した、というニュースが話題になりました。それも1000件も。勿論、中には同じ人が執拗に批判コメントを入れていることも考えられますので、批判している人はそう多くはないと思いますが、いかにもなニュースです。それに自称教育評論家の尾木ママなどをはじめ、芸能人や著名人がその批判を批判するというのが取り上げられたりして、その展開がエスカレートされています。


ただ、このニュースに関して問題の所在はどこにあるのかと考えた結果、それは批判を寄越した大人たちではないということが分かりました。今日はそんなお話をしてみたいと思います。


軽くしたランドセルの原点!ランドセルが誕生した背景は?

そもそもランドセルっていつからあるのでしょうか?実はその起源は明治時代。当時大正天皇が学習院にご入学される際、伊藤博文が箱型の通学カバンを献上したことが始まりとされています。それが明治20年、1887年です。その3年後には本革の黒で素材が確定し、明治30年には細かな形状や寸法が画一されて、学習院型のランドセルが誕生しました。


ではその「箱型のカバン」という発想のモデルは一体何かということですが、さらに時代は遡り江戸時代。幕末に輸入されたもので、当初軍隊が活用していた背のう(はいのう)がモデルとなっているようです。


ペリーの浦賀来航によって国が揺らいだ、通称「黒船来航」。その前後で、急速に広まる西欧列強の脅威という問題に、日本は西洋化を余儀なくされたわけですが、その流れの中で西欧式軍隊制度と一緒に入ってきたのが、皮や布で作った方形のカバンでした。つまりランドセルは「軍隊の徒歩部隊の将兵が背負う袋」から始まっているということです。


初代内閣総理大臣・伊藤博文が大正天皇に献上したのは明治20年ですから、当時からすれば西欧式の方形のカバンは日本で言うところの時代の最先端。ですから伊藤博文が献上したランドセルには決して軍隊的な意味合いはなかっただろうと思います。が、実際今の学校制度には戦前戦中の影響が色濃く残っていて、やはり今の小学校にも軍隊の名残が染み付いているのだなかと複雑な気分になりました。それこそ「気をつけ!礼!着席!」という号令も軍隊の名残です。


軽くしたランドセルに批判殺到の理由とは!?

それでは目を現代に戻してみますと、今回の栃木県の小学生が開発したとされる「軽くしたランドセル」は、その構想のヒントをキャリバッグから得たというのは想像に難くありません。というか、もうキャリーバッグで良くない?くらいのレベルです(笑)勿論、横開きではなく縦開きである点が相違しているので、派生商品ということで製造が必要かも知れませんが、大きな発想の転換ではありません。むしろこれまでもサラリーマンの間でもそういう発想はありましたし、荷物の多くなる移動を伴う仕事をされている方も、キャリーバッグを採用される方も多くなっていました。そのフィールドが小学生にフォーカスされたことで話題になったということです。


開発の背景には医学生も協力しているようで、おそらく度重なる協議の結果生まれた”商品”なのでしょう。ランドセルは6万円〜10万円ほどもしますし、一度買うと6年間使うのが通例ですから、途中でキャリーバッグを新調してそれを使うよりも、今回のサンポセルのような取り付け器具を買って取り付ける方が理にかなっているということかと思います。すでに3000件の注文が入り、3ヶ月待ちの状態になっているようですが、果たしてこれを学校側が受け入れて使用を許可してくれるのか心配です。


今回のサンポセルの開発に対して、予想外に批判コメントが殺到したということですが、おそらく批判コメントを寄越しているのは60代前後以上の方々がメインなのではないでしょうか。若い世代に楽をさせたくないという堅固な姿勢をお持ちの方が多い世代です。それは自分たちが相当にキツい青年時代を過ごしているからでしょう。自分がされたことはこれからの世代も甘んじて受け入れるべきだ、そうでなければ貧弱な精神しか育たない!という強い信念があるものと考えられます。子どもたちのことを思っての発言だと、彼ら自身は信じているはずです。


・後ろ向きに倒れた時のクッションだ
・手が離れた時、坂道などを転がっていったら危険
・それくらいの荷物を背負って歩けないようじゃ背骨が曲がったりして健康にも良くない
etc.


といった、ほとんど言いがかり的な批判が多いように見受けますが、批判の理由の1点は「変化への抵抗」。もしくは、先ほど挙げた「俺たち、私たちもその苦行に耐えてきたのだから」という信念ゆえ。さらには学校サイドがその変化を受容できかねることの証左かも知れません。1872年以来大きく変われていない学校環境がブレーキになっている可能性があります。


軽くしたランドセル批判に潜む本当の問題

私は全ての教科書がiPadなどのタブレットに集約されてしまえばいい、といった考えは持ってはいません。ですが、タブレットの一部採用によって様々な点で負担が軽くなり、業務の効率化を図れるはずだとは思っています。それから、そもそもまだランドセルオンリーの選択肢縛りはどうなの?という純粋な問題意識もあります。勿論、スマホの持ち込みを禁止や置き勉の禁止、地毛が茶色くても黒に染めさせるような学校教育がまだ残っているくらいの時代錯誤の世界が学校という現場ですから、臨機応変から最も遠い場所、社会の変化、変容、変質から大きく取り残されていくのは必然。私が今回の軽くしたランドセル批判問題の本質は、やっぱりここに戻ってきてしまうのではないかと思っています。


これって、少し前に話題になった「ゆたぼん」の問題と実は似ていると思うんです。不登校ユーチューバーとして「中学校には行きません」と宣言し、それに対する持論を展開して話題になりました。言ってることは至極全う。分からなくはない。勿論言い方の問題やキャラクター、父親のイメージなどもあるので、持論の内容が冷静に受け取られたかは正直分かりませんが、批判が殺到しました。でもこれまで誰かが堂々と言ってこなかったこと、やっていなかったことをやったという点で、今回の問題と中身が似ています。


私も小学生の時には、制服だった学校の決まりを撤廃し、自由服の採用を叫んで生徒会長みたいなことをしていました。現状に問題意識を持って実際に行動するのは結構体力要るし精神的にもキツいものがあるんです。だから、そこに今はネットの力で批判も一緒に飲まれてやってくる。今回の小学生たちはそこまでダメージを受けなくて済んでいるのかも知れませんが、ゆたぼん君は相当まいってる部分もあるみたいですね。それも覚悟の上だったとは思いますが、想像と実際には大きな相違があるものです。


今回の軽くしたランドセルについては今だけの一過性の話題だと思います。小学生にはあまりに重すぎるランドセルが注目されることで、それが根本から見直されることになるはずです。腰や背中の痛みを訴えて整骨院に行く小学生が増えている昨今、それを教育現場が看過するはずはないし、あってはならないからです。


物事は変わっていい。これまでやってきたことを、いつかは止めるべき時が来ます。止めていい時期、代替案が可能になって止められる時期が来たら、これまでの文化、伝統から手を離すチャンスです。今まで持っていたものを手放すのはストレスです。失うのは、それがなんであれ、嫌なものです。でもそれでも先に進まねばなりません。これはむしろ大人ができるかできないかの問題なのでしょうね。


熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミーは、今回の話題に対して良いも悪いも評価はしません。批判している人たちの中にはまともな人も、まともな主張もあるかも知れません。さんぽセルが本当にいいことだらけなのかは正直疑問だし、まだアンチテーゼに過ぎないので、近い将来ジンテーゼが生まれてランドセルが過去になる日が来ると思います(そうなって欲しいという、これは願望です^ ^;)。一人一人が信じた想いを胸に行動し、そのフィードバックを社会から受けながら、あるべき姿に近づいていく。それが人類の歴史。その一片を取り上げて、今回は私なりの見解を共有してみました。何かの参考になれば幸いです。


 

無料体験プレゼント中!

ブレイクスルー・アカデミーは「自分で勉強できるようになる」塾です。
成績の上げ方が分からない、もっと効率的な勉強法を身に付けたい、どうしても行きたい志望校がある、塾にお金をかけ続ける現状から脱したい。。。

 

そういった「今を変えたい」全ての方に、完全個別対応で短期間に「自分で勉強できる力、スキル」を身に付けていただける環境です。ただ、一人でも多くの方とお話ができればと思うのですが、残念ながら対応できる人数に限りがございます。全ての生徒さんを代表自らが直接1:1で対応するためです。

枠がとても少ないので、もし少しでもご興味あられましたら、今すぐ下記の連絡先をクリックして勉強戦略コンサルティングをご予約下さい。

Googleマイビジネスへの口コミへのご協力をいただける方には、初回1回分を無料体験としてプレゼントさせていただきます。

 

勉強の正しいやり方をマスターすれば、お子さまの人生は確実に激変します。手遅れになる前に、是非お早めの対応をご検討下さい。

 

メールからのお問い合わせ

勉強コンサルお申し込み

tel:0964275708
お問い合わせ