熊本の高橋公園に佇む横井小楠像、日本史に埋もれた大人物のなぜ!?|熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミー

こんにちは。熊本の教育&勉強攻略アドバイザー、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です。


熊本在住の方はご存知かも知れませんが、熊本城の麓、京町の方から鶴屋がある中心街の方に降りてくる途中に、手取天満宮のバス停があります。その正面に公園らしき空間があるのですが、そこに2000年、横井小楠をはじめとする維新を支えた人物たちの群像が建てられました。


恥ずかしながら私は、長いこと熊本に住んでいながら、この空間が高橋公園という名前であることも、そこに並んでいる男たちが横井小楠先生らであったことも、ましてや横井小楠先生というのがどんな人物であるかも知らなかったのです。それが今39歳を迎えたこのタイミングで、なぜか無性に気になって色々調べることになりました。人生は不思議です。今まで全く興味がなかったことに、ある時急に無性に駆り立てられる。


熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミー代表としては今更感が満載ですが、横井小楠先生について調べていくと、なぜこれほどの人物が日本史から存在を消されているのか疑問に思えてきました。きっとこれには理由があるんですよね。そして私の人生にとっては今が横井小楠を知るベストなタイミングなんです、きっと。そこで今回の記事では、私が横井小楠先生について調べたことをまとめて共有したいと思います。なお、沼山にある横井小楠先生の資料館にはまた後日伺うことにしていますので、その時に改めてその感動をお伝えできればと思っています。


熊本の高橋公園に立つ維新の群像


この高橋公園は、現在千葉城橋と厩橋(うまやばし)の間に位置し、熊本市7代目市長で、市電の開通や水道の敷設など熊本市発展の基礎を作った高橋守雄さんの名前からその名が付けられています。


ちなみに熊本なのに「千葉城」っていうのも気になるなぁと思って調べてみたのですが、この城は熊本城が立つずっと昔、1467年〜1487年、応仁の乱があった頃ですね、その時代に出田秀信によって建てられた岡城(当時は隈本城くまもとじょう)でした。その後熊本古城に拠点が移されたために廃城となり、今はその熊本古城と千葉城を含む広大な土地(茶臼山全体を取り囲むように)に熊本城がある、という位置関係のようです。


昔の熊本、というか肥後を含む九州の中央部というのは、菊池氏、阿蘇氏、大友氏の三家が支配しており、その菊池一族から出たのが出田氏だったようです。これ以上深入りすると話が逸れてしまいますのでちょっと今回は割愛します。


さて、そんな高橋公園に5人の群像があります。正確にはその隣に谷干城(たにたてき)の像もあるのですが、谷干城像は元々熊本城本丸の側に建てられていたのを、復元工事の関係でここ高橋公園に移設されたとのことで、おそらくはまた復元完了後は元の場所に戻されるのではないかと思います。谷干城さんも語り始めればキリがなく、西南戦争の際に少ない手勢で熊本城を守り抜いた名将であったという人物ですが、今回は横井小楠の像に話を集中します。


今から20年ほど前、2000年に建てられた像ですが、当時の私はなぜこんなところに侍たちの像が立っているんだろう?くらいにしか思っていませんでした。誰の像かも知りませんでしたし、なんで中途半端な方向を向いているのかも疑問でした(先日訪れた際に確認したら、南を向いていたのですが、その方向に一体何が!?)。


しかし興味のままに調べていくと、横井小楠先生の偉大さがどんどん浮き彫りになっていきました。どれだけの大偉人だったかが嫌というほど分かってきたのです。


なのに、当の像が立っているあの場所は意外と行くのが面倒な場所で、近くに駐車場があるわけでもないので、私の場合はホテル日航熊本にとめて歩いて現地に行きました(そのおかげで2022年6月3日にオープンしたばかりの屋台村を覗くことができました)。


ちなみに鶴屋裏の横井小楠旧居跡にも行って来ましたが、そこにはもう碑文しかなく、あるのは小泉八雲旧居だけ。それも鶴屋建設当時50m移動させられているという扱いです。それは、まぁ仕方ないかもですが、横井小楠大先生が熊本で最も長く(24年も!)過ごした場所が碑文のみっていうのも悲しい感じでした。


さて、現地にたどり着くと5人の群像と谷干城の像が並んで立っています。群像の方は明治維新の当時、この日本に影響を及ぼした人物たちであり、さらには横井小楠先生と、彼に由来する人物たちで構成されていました。具体的には

・坂本龍馬
・勝海舟
・松平春嶽(しゅんがく)
・細川護久(もりひさ)

の4人です。ただ調べていくと分かりますが、細川護久だけはちょっと違和感があります。熊本藩の藩主でしたが、熊本藩は当時横井小楠先生を受け入れられなかったわけですから、この人を横井小楠先生のあのメンバーに入れるのはちょっと。だったらまだ吉田松陰を入れるか、実学党のメンバーを入れるかの方が良かったのではないかと。



熊本が生んだ横井小楠という男


ちょっと展開が早過ぎましたので1つ1つ説明しますと、横井小楠という人物は熊本の坪井で生まれた列記とした熊本出身の思想家です。ただ「思想家」というと表現では小さすぎる。彼は日本の影の改革者であり、思想を通して日本を陰から支えている人物です。それこそ日本史を勉強した方であれば勝海舟や坂本龍馬や吉田松陰のことはご存知でしょうし、教育勅語や大日本帝国憲法もご存知かも知れません。それら全てに大きな影響を与えた思想家だということです。日本の革命家のことごとくに影響を与えた思想家ですから、これはもはや革命思想家とでも言うべきレベルです。大袈裟に言えば日本のフィクサーは横井小楠だったというべきレベル。


勝海舟と言えば、日本海軍の基を作り、江戸城無血開城を実現させた幕臣で、坂本龍馬の師匠に当たる人物。その彼をして”化け物”と言わせしめた横井小楠は、開明派としても「西の横井、東の佐久間(象山)」と言われたほどです。ちなみにそれほどの開明富国論の偉人を生んだ熊本ですが、その双璧の1人であった佐久間象山を暗殺した人斬り彦斎(げんさい)も熊本出身です。彦斎は熊本勤王党のメンバーで長州藩と繋がっていた過激派の1人でした。横井小楠の熊本実学党とは、同じ攘夷派(元々横井小楠は尊王攘夷派でした)でありながら、実学党は水戸藩と繋がったグループで思想が違い、ここに会津藩と繋がっていた佐幕派の学校党(熊本藩の藩校・時習館関係者が多かった)と三つ巴を繰り広げていました。


しかしそんな小楠も、1853年のペリー来航の頃、中国の魏源が著した『海国図志』と出会い、その思想を急転させています。世界を知り、日本の立場を知ったからこそ、攘夷思想から富国思想に変わったのです。鎖国鎖国と閉じこもってていかん!日本は世界に目を向け、大いに学び、世界の平和のためにアメリカと協力して世界から戦争をなくすんじゃ!当時の思想からすれば相当にぶっ飛んでいます。


そんな横井小楠の壮大な富国論に魅せられたのが、勝海舟であり坂本龍馬であり吉田松陰といった当時の革命家たち(坂本龍馬や吉田松陰は熊本に横井小楠を何度も訪ねているほどです)。さらにはのちの木戸孝允(たかよし)となる長州藩の桂小五郎、同じく長州藩の高杉晋作、福井藩に実際に横井小楠を招聘した松平春嶽などが彼の思想を学ぼうと必死でした。


ちなみに日本の教育の基礎を築くことになる『教育勅語』は熊本実学党のメンバーだった元田永孚(ながざね)と井上毅(こわし)の2人が作り、その井上毅が草案に関わったのが『大日本帝国憲法』ですから、横井小楠の思想の影響がどれほど日本を動かしているのか想像に難くないでしょう。


これが横井小楠大先生なのです。



横井小楠大先生はなぜ日本史から消されたのか

ただこうして横井小楠先生のことを調べていくと、これだけの大偉人がなぜ歴史の表舞台から存在を消されているのかと不思議に思えてきます。熊本にとっても、これだけの大人物を生んだのですからもっと評価しても良さそうなものですが、そういうところが熊本は勿体無いですよね。『ワンピース』のルフィ像なんかも、どうして熊本県庁になんて立ててしまったんでしょうか^ ^;せめて熊本駅前か中心街あたりでしょう、と。


坂本龍馬や吉田松陰らはしっかり国民が周知するほどに知られていますが、坂本龍馬などは元々そこまで有名ではなかった人物。司馬遼太郎さんの作品『竜馬がゆく』で人気に火がついたと言われています。もし司馬遼太郎さんがこの人物に触れなければ、彼の存在も埋もれていたかも知れない。


こうやって、実は凄まじい人物なのに、今では知る人ぞ知るくらいの認知にとどまっている人物は沢山いることでしょう。横井小楠ほど埋もれてはいないのですが、私にとっては五代友厚(ともあつ)もその1人かと。薩英戦争の時にイギリスに捕まった、くらいしか情報を持っていませんでしたが、彼についても調べていくと本当に「天外人てんがらもん=才能が凄まじい人物」だったことが分かります。にしても、横井小楠先生の扱いは不自然すぎる。


こうなると、陰謀論が大好きな私としてはモヤっとしたものを感じますが(笑)、陰謀論的な見解への言及はここでは差し控えさせていただくとして、本当に、もっと熊本は横井小楠先生を評価するべきかと思います。もっと有名であっていい。


この歳になって初めてここまで深く横井小楠先生と触れ合っていますが、一教育者としてかなり参考にさせてもらっています。まだまだ深く理解できればもっと影響を受けられると思うので、近いうちに資料館にも立ち寄ってみたいと思います。


今回は尻切れトンボ的にはなってしまいましたが、熊本は高橋公園に佇む横井小楠先生について触れてみました。何かの参考になれば幸いです。


 

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