熊本高校生も知らない!?熊本の塾長が日本史のウラを語る|熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミー

こんにちは。熊本の勉強戦略コンサルティング指導学習塾、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です。

 

 

今回は高校日本史。日本史と言っても特に今の沖縄県にあたる琉球王国の歴史を振り返っていきたいと思っています。この歴史をきっかけに、日本史を学ぶ意味を掴んで、今後の勉強に活かしていただきたいというのが今日の願いです。

 

 

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熊本の学習塾塾長が思う日本史を勉強する意味

まず、そもそもなぜ高校生が歴史を勉強する必要があるのでしょうか?これは「人はなぜ歴史を学ぶのか」という問いとは似て非なるものです。なぜなら「人」という括りの中でも「学生」という人種は特殊性が強いためでもありますし、何より「勉強」と「学び」とは全く別次元のものだからです。

 

 

例えば今回取り上げた「琉球王国」は、現沖縄県のことです。沖縄県と言えば米軍基地問題ですよね。では一体どれだけの人が、この米軍基地問題が解決しない理由を把握しているでしょうか。どうしてこれほどまでに問題だ問題だと言われてきてなお、基地が沖縄から減らないのでしょうか。このことを理解するために過去を紐解き、歴史を把握する必要があるのです。なぜなら沖縄に基地が集中的に置かれている原因は、確実に過去にあるからです。

 

 

このことを考えると、学生がなぜ歴史を勉強する必要があるのかということへの答えは、目の前で起きている社会問題の原因、要因の”一端”は、確実に過去にあるから、ということになります。”一端”と言ったのは、仮に歴史的な原因が取り除かれたとしても、人間の心理的な問題や新たな社会的問題が残り、歴史を知るだけでは全部の原因除去に至らないケースも多々あるからです。特にこの沖縄の米軍基地問題についてはそのパターンでしょう。

 

 

熊本の学習塾塾長が語る高校日本史の番外編

それでは早速沖縄の歴史、琉球の時代に遡って考えていきましょう。

 

 

まず前提としてあるのは、沖縄というのは最初から日本の領土ではなかったということです。もともとは沖縄県は日本とは完全に独立した存在で、琉球王国が誕生する以前から、独自の文化を形成していました。

 

 

日本本土もそうであったように、琉球もまた最初は有力豪族の按司が乱立する小国乱立状態にありました。これが12〜13C(世紀)の話です。しかしそういった小国が乱立している状態というのは長くは続かないんですね。グスクと呼ばれる城を築いて互いに争い合っていた状況は、次第に淘汰を促し、特別力のある者に吸収合併される形でまとまっていきます。こうして中国の三国時代のように、琉球もまた三山時代(要するに三強時代)を迎えます。

 

 

これを最初に制し、琉球に初めての王朝を築いた人物が尚巴志(しょうはし)です。1429年、三山を制し琉球王国を立ち上げました。15Cの話になります。

 

 

1429年というと、本土では1467年に応仁の乱があったわけですから、その前の守護大名の乱立時代ですね。応仁の乱は足利政権の8代将軍義政の後継争いから端を発する大規模な戦闘状態なので、この頃は室町時代だと分かります。実は1429年というのは足利義教(よしのり)が6代将軍に就任した年だったりするのです。あの有名な3代将軍義満の5男坊さん。そして応仁の乱のあとは戦国時代でしたね。織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といった超有名どころが出てくる時代、安土桃山時代はそのあとです。

 

 

熊本の学習塾塾長が語る高校日本史の番外編その2

さて尚巴志が初の琉球王国を立ち上げてから50年ほど経過した頃、琉球史上唯一のクーデターが起こります。起こしたのは金丸と言い、出自はなんと百姓。後の尚円(しょうえん)となるこの男の人生は、まるで本土の豊臣秀吉と重なるようです。

 

 

クーデターと言っても、背景はやはり暴君の存在。50年の間に幾度も王が変わる中、王の右腕として権力を握っていた金丸でしたが、尚徳の横暴ぶりに手を焼き、右腕としての役目を放棄。故郷に戻ります。その尚徳が亡くなった時、そういった横暴な政治の在り方を反省した者たちが、金丸をトップに担ぎ上げた、ということなのです。この先400年以上も続く安定政権につながっていくわけですね。

 

 

さて、時代を戻ってグスク時代。稲作はどこから入ってきたかというと、それはお隣中国です。当時の中国は長江、黄河の恩恵で食料的にも潤っており、かなり安定した国でした。そのため当時の中国は他国への干渉などしない友好的な関係構築をベースとして、色んな国と繋がっていたのです。そのうちの1つが琉球の小国でした。勿論小国すべてが中国と繋がっていたわけではなく、特別頭のキレる按司たちが自分の立場を強める目的で中国との関係構築を取り付けていた、という感じです。そしてそれは琉球王国となってからも続いていました。

 

 

ここに武力を以って侵攻してきた国が、何を隠そう日本です。当時薩摩藩と言われていた今の鹿児島県ですね。なんせ中国よりもはるかに近い位置になる日本は、海洋貿易で稼ぎまくる琉球王国が欲しくて仕方ない。時代は1609年。本土では天下分け目が終わって江戸時代という安定期に入った頃です。その時期に、せっかくの中国との良好な関係を保ちたい琉球王国は、日本の侵略を受けて、稲作文化をさとうきび文化に変容させられていく苦しい時代に入っていきます。

 

 

この頃はちょうど、中国の明が衰退していく頃で、かつ貿易相手だった東南アジアのジャカルタにポルトガルが侵攻してくるなどの事情が重なって、日本の付け入る隙があったということでもありました。

 

 

こうやってなし崩し的に薩摩藩の属国とされていた琉球王国は、ペリーの来航を経て開国を迫られた本土の影響と、その後の廃藩置県によって、その呼称を「沖縄県」と改めさせられました。こうして完全に中国から切り離された日本固有の領土、ということになったわけです。

 

 

まとめ

こういった背景を紐解いていくと、元は九州から移り住んだ移民が琉球の人々になったという時代背景があるにせよ、沖縄県が日本にあって日本ではない扱いを受けている、という現実がお分かりいただけるのではないでしょうか。勿論、今ではそんな意識で沖縄県民の方々を見ている日本国民はいません。ただ、琉球王国は薩摩藩の奴隷国家だったという歴史的背景を考えると、その地理的な在り方もあって、今の米軍基地問題が遅々として進まない原因にもなっているのだと考えざるを得ません。

 

 

そして何より、そういった時代背景がなくなったとしても、終戦後70年以上経って経済的にも沖縄県に融合されている米軍基地を、今更切り離してバランスを欠くのもどうかとなる。こんな例えが正しいかは分かりませんが、放射線で汚染された土の処分場を探すのと問題は一緒で、誰も好きこのんで自分の住んでいる土地に受け入れようという人は少ないでしょう。ですから単純に歴史的な問題だけで沖縄問題は語れません。

 

 

私たちが歴史を学ぶ意味は、今目の前の事象を理解するためでもあります。では学生であるあなたが今高校日本史を勉強させられていることの意味は何か。単なる受験のためではなく、今あなたが生きているこの世界をより深く理解するためであると考えられたら最高だなというのが理想です。勿論教科書に記述されているのが本当の歴史ではないでしょう。でもきっかけにはなるはずです。何かを知るきっかけには。そしてあなたは、なるべく多くを知る必要があります。学生のうち、若いうちにです。

 

 

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