[高校日本史]新紙幣へ刷新!?渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎とは!?

こんにちは。熊本の勉強戦略コンサルティング指導塾、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です。

 

 

新元号「令和」に変わったことを受けて、なんと紙幣まで2024年に新紙幣へ刷新されるようですね。巷では、キャッシュレス化に向かう今の時代に、なぜ数百億かけて新紙幣へ変えたりするのかと問題視されていますが、こうなると公式に発表されてしまった以上そうなるでしょうし、肖像画になる人物には今後の日本をこうしていきたいという裏の国の意向が刻まれているはずなので、この機会に調べてみると面白いかも知れません。ちなみに1万円札は日本資本主義の父・渋沢栄一、五千円札は女子教育の先駆者・津田梅子、千円札は日本医学の父・北里柴三郎なんだそうです。

 

 

そこで今回は高校日本史の復習も兼ねて、この3名がどんな人物なのかを確認してみましょう。

 

 

日本資本主義の父・渋沢栄一とは

渋沢栄一は大久保利通や大隈重信と同じ時代を生きた人物で、江戸幕府最後の将軍となった第十五代将軍徳川慶喜に仕えていた人物です。wikipediaには、1866年と1867年の頃の渋沢栄一の写真が載っていますが、大政奉還を境に和装から洋装に変わった様子が、何とも不思議な時代の境目を感じさせます。

 

 

1867年に開催されたパリの万国博覧会に慶喜公の名代として参加。この時、パリ万博に加えヨーロッパ各国を訪問し、先進的な産業や軍備、社会を目の当たりにしました。しかしこの1867年こそがあの時代の大きな転換点となる大政奉還。彼がもし日本にいたままだったら、時代は変わっていたのかも知れません。

 

 

彼が残した実績はかなりの数に上ります。設立に関わった企業は500以上。その代表的なものとしては

 

 

・東京海上火災保険

・王子製紙、日本製紙

・帝国ホテル

・秩父鉄道

・東京証券取引所

・キリンビール

・サッポロビール

・東洋紡績  など

 

 

があります。これがきっかけとなり、「道徳経済合一主義(倫理と利益の両立を掲げ、経済を発展させ、利益を独占することなく国を豊かにするために富は全体で共有するものとして社会に還元すること)」を掲げる彼の下には経営者や管理職が集まる龍門社が組織されたりもしました。これ以外にも、商法講習所(現・一橋大学)や日本赤十字社、アメリカに日本のニュースを送る通信社(時事通信社、共同通信社の起源)を立ち上げたり、みずほ銀行の頭取を経て多数の地方銀行の設立にも関わっています。

 

 

・東京慈恵会

・日印協会

・東京経済大学

・同志社大学

・日本女子大学

・日本国際児童親善会 など

 

 

の設立にも関わり、

 

 

・聖路加国際病院初代理事長

・滝乃川学園初代理事長

・YMCA環太平洋連絡会議日本側議長

・『論語と算盤』の著者→道徳経済合一主義の理念表明

 

 

といった業績も残しています。加えて関東大震災の折には大震災善後会副会長となり寄付金集めに奔走したりと、実業家にありながら社会活動にも尽力された方のようです。日本のあり方に多大なる影響を残した人物として、これからの一万円札に刻まれることになったのでしょう。

 

 

女子教育の先駆者・津田梅子とは

明治33年(1900年)女子英学塾(現・津田塾大学)を立ち上げた津田梅子は、父の勧めで満6歳の頃ワシントンへ渡米した経歴を持つ教師です。当時開拓使次官だった黒田清隆は女子教育に関心の高い人物であり、彼が企画した、岩倉使節団に随行する女子留学生枠に父が津田梅子を応募させたのだそうです。にしても6歳の娘をアメリカにやる父の決意たるや、子を持つ親として頭が下がります。

 

 

この時女性枠は5名で、そのうち2名が先に帰国したそうなのですが、残った3名が津田梅子、山川捨松(のちの大山捨松おおやますてまつ)、永井繁子(のちの瓜生繁子うりゅうしげこ)で、この時から生涯親しい付き合いになったとのこと。のちに津田塾大学となる女子英学塾の設立時には、二人も協力をしてくれたそうです。ちなみに捨松が嫁いだ大山というのは大山巌(おおやまいわお)のことで、彼は日露戦争において満州軍総司令官を務めた人物。「陸の大山、海の東郷(東郷平八郎)」と言われた巌は、司馬遼太郎の作品『坂の上の雲』でも描かれています。

 

 

さて、津田梅子は海外経験が長く、その間には幅広い言語、学問を学んでいました。

 

 

・英語

・ピアノ

・ラテン語

・フランス語

・英文学

・自然科学

・心理学

・芸術 など

 

 

しかし彼女が帰国した日本は儒学の価値観が色濃い社会。とても女性の働く気運ではありませんでした。また長すぎる海外経験はむしろ日本語能力を低下させてしまい通訳が必要なほどだったと言います。そこに伊藤博文との再開をきっかけに、華族女子の教育を行う桃夭女塾を解説していた下田歌子を紹介され、英語教師として通うことになりました。

 

 

その後再び留学の機会を得た彼女は、ネオ・ラマルキズムが反響を呼んでいた進化論に興味を持ち、生物学を学び始めます。また、かつての留学仲間であったアリス・ベーコンと再びの友好を交わすうちに、彼女の日本女性に関する研究に影響を受けて、次第に日本の女性教育に関心を持つようになったようです。留年を一年延長させると、彼女は日本女性留学のための奨学金設立を発起し、公演や募金活動を行いました。このことが、のちの津田塾大学となる女子英学塾の設立の一番のきっかけになったのでしょう。

 

 

樋口一葉に次いで、これからの女性の背中を押す存在として抜擢されたのだと思います。

 

 

日本医学の父・北里柴三郎とは

のちに東京大学医科学研究所となる私立伝染病研究所、のちに慶應義塾大学医学部となる慶應義塾大学医学科の創立者兼初代所長を務めたのがこの人物、北里柴三郎。慶應義塾大学病院の初代病院長を務め、かつ日本医師会の創立者兼初代会長を務めたことなどから、日本の医学に大きく貢献した人物です。

 

 

「日本の細菌学の父」として知られる彼の研究は、ペスト菌を発見し、破傷風の治療法を開発するなどの感染症医学の発展に貢献しました。ちなみにペスト菌とはペストの病原菌ですが、これは人類史上最も致死率の高かった伝染病で、1347年から1353年にかけて流行した際にはヨーロッパの全人口の約3分の1を死滅させたほどだったと言います。

 

 

残念ながら、全く同時期に、全く独立にスイス・フランスの医師でパスツール研究所の細菌学者でもあったアレクサンドル・イェルサンがペスト菌を香港で発見し、今では彼の方がペストとペスト菌を最初に結び付けて考えた人物とされています。

 

 

さて、実は彼は熊本県出身です。まだ熊本が肥後国と言われていた時代、阿蘇郡小国郷北里村に生を受けました。熊本医学校に進み、そこで出会った教師のマンスフェルトに影響を受けて、本格的に医学の道に目覚めることになったようです。

 

 

その後今の東京大学医学部である東京医学校に進学するも、教授の論文にとやかく口を出したことで大学側と仲が悪くなり、何度も留年する羽目に。しかしその在学中、「医者の使命は病気を予防することにある」と確信した彼は、予防医学を生涯の道と決意。『医道論』を残しています。

 

 

その後、東京医学校で同期にいた同じく熊本県の、八代市出身の緒方正則(おがたまさのり)の計らいがあってドイツのベルリン大へ留学。そこでペスト菌の発見に繋がることになる師・コッホと出会います。そこで1889年、世界で初めて破傷風菌だけを取り出す破傷風菌純粋培養法を成功させ、さらに翌年には破傷風菌抗毒素を発見して世界を驚嘆させました。ただ、同僚のベーリングと連名で出した「動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について」という論文では、第一回ノーベル生理学・医学賞の候補に挙がったものの、結果的にはベーリングのみが受賞するというショッキングな出来事にも遭遇しています。

 

 

勿論、その論文がきっかけとなり欧米各国から注目を浴び求められるようになった北里柴三郎でしたが、国費留学の目的は日本の脆弱な医療体制の改善と、伝染病の脅威から日本国民を救うことであるとして1892年に帰国。そこで脚気の原因を巡って緒方と対立し、母校東大医学部とも仲違いする形となったことで日本での活動がしにくくなった彼を、福澤諭吉が援助し、私立伝染病研究所が設立に至ります。

 

 

この後にも東大との確執が原因なのか、この研究所の所長を追い出される形となった彼は、私費を投じて私立北里研究所を立ち上げ、狂犬病、インフルエンザ、赤痢、発疹チフスなどの血清開発に取り組み、また福澤諭吉の没後には、彼への恩返しにと慶應義塾大学医学部を創設。北里研究所の優秀な人材を惜しみなく送り込み、終生無給で同校医学部発展のために尽力したのだそうです。この年1917年には、全国の医師会を統一してのちの日本医師会となる大日本医師会を誕生させました。

 

 

これからの時代に込められた思い

同じ時代を生きた3名のネクスト3。今の日本を支える多大なる貢献をした彼らの功績を称えた人選だと思います。経済、教育、医学。最初に述べたように、この3名の人選には裏の意図があるとは思いますが、穿った見方をあえてする必要もありませんし、純粋にメッセージを受け取ることにすれば、個人的な利益よりも国全体の豊かさを、女性教育を促してより男女平等の意味する所に近い世界へ、そして医学を発展させてこれから来る超少子高齢化状況を乗り切ろう、というものだとして受けとめたいと思います。

 

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