将来の夢は「遊んで暮らすこと」と言う子どもたち|熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミー

こんにちは。熊本の教育&勉強攻略アドバイザー、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です。

 

 

今回のテーマは「遊んで暮らすこと」です。これは生徒さん方の口から結構な数聞かされた将来の夢だったりします。

 

 

誰もが一度は考えてしまうこの夢は、おそらく99.9%の人からすると「何バカなことを言ってるの」と一蹴されてしまうものかも知れません。しかし教育の場で子どもたちに現実に「将来の夢は遊んで暮らすことです」「大人になったら働かずに生きていきたい」と言われた時にどうお答えするかは非常にデリケートな問題だと、私は認識しています。

 

 

どう自分個人の価値観とは違う、大局的な視点から適切なアドバイスを子どもたちに与えられるか。教育の難しさは正にここにあると思うのです。

 

 

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「将来の夢は遊んで暮らすことです」は悪いことか

おそらく学校の教師や学習塾の講師の方々で、「将来の夢は遊んで暮らすことです」と言う生徒さんに「それはイイ夢だね」なんて言う方はいらっしゃらないんじゃないでしょうか。ほとんどの方は「そうできたらイイんだろうけど、実際には難しいんだよ」とか、もっとどストレートに「何バカなこと言ってるんだ。真面目に勉強しろ」と一蹴してしまうかも知れません。では、子どもたちのこの「将来の夢は遊んで暮らすことです」は悪いことなのでしょうか。

 

 

ここからは熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミーの独自の見解の話になりますが、当塾ではこの「遊んで暮らすこと」という将来の夢に対して、他の夢と同じように重要なものとして扱います。これは「生徒さんの思いを大事にしたい」という感情論の話ではなく、現実的に考えて本当にそれが夢だというなら、そのための努力を今から考え実行すべきだと考えているからです。そのための勉強が必要なら、どういう視点で勉強に取り組めばイイのか、勉強への努力を通してどんなことを身に付けたいのかを意識させることが重要です。また、仮に遊んで暮らせるようになるために勉強以外の努力が必要であれば、それが一体何なのかということも含めて思考を巡らせることを促します。

 

 

そもそも「将来の夢は遊んで暮らすことです」は全く悪いことではないし、むしろ誰もがそう思っているだろうし、不可能なことでもありません。この世に一人もそういった生き方ができている人がいないのであれば話は別ですが、そういう世界は現に実在してしまっているので、子どもたちが掲げるシナリオの1つとしてちゃんと尊重してあげる必要があります。

 

 

問題なのは、そういった「遊んで暮らす」という生き方をしている人があまりにも少ないので、そんなことを考える子どもの考えが浅はかに思えてしまうことかも知れません。逆にそういう世界に生きている人がその夢を聞けば「だったらそうすればイイよ」と軽く答えられてしまうものだったりするのです。そして子どもたちが正直「働きたくない!遊んで暮らしたい!」と、そう思っているのであれば、それを実現するための努力を模索し実行すればイイだけの話なので、そういう思考の働かせ方を指導しアシストするのがベストであると、私は考えています。熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミーは「遊んで暮らすためにはどうするか」という問いも一緒に真剣に考える塾でもあるのです。

 

 

遊んで暮らすためにはどうするか

私たちには往々にしてバイアスが掛かっています。ある一定の、日本人らしい価値観を刷り込まれて大人になっていくので、働かずに好き勝手飲み食いして生きていきたいという「夢」を「愚者の妄想」であるかのように感じてしまいます。なんてだらしないことだと直感的に感じてしまうわけです。

 

 

しかしその直感が視野を曇らせます。まるで「そんなことなど絶対できない」というのが絶対の真実であるかのようです。そうやって、一個人として持っている狭い価値観を次の世代にも植え付けて連鎖させていくことは、私はとても危険な教育だと思います。自分になくても、誰かがそれを持っているのなら、それを持っている誰かに聞くか、その人のことを徹底的に調べていけば、何かしらの可能性に必ず手が届くからです。

 

 

私たちが大人として次の世代の子どもたちに伝えるべきは、「そんなことは無理だ」という個人的な感覚ではなく、「そうなるためには何をどうすればイイか」という希望への思考フレームです。できない理由を探すより、どうしたらできるかを考えることで道が開けます。

 

 

例えば私の例で言えば、あまりにも幸運ですが、現在一時的にせよ「遊んで暮らせる」状況にあります。仮に生徒さんが一人もいなくなったとしても、もう新たな集客を考える必要もないし、極論働くことなく好きなことをして過ごしていてもお金が増えてくれる状況にあるということです。世界的ベストセラーである『金持ち父さん 貧乏父さん』の著者ロバート=キヨサキ氏の言葉を借りれば「お金持ち」になったということです。

 

 

ここではあまり多くは説明できませんが、生活を維持するという時には基本的に日々の支出よりも収入が上回っていればよく、仮にその収入全てが不労所得(働くこと以外からもたらされる収入)でまかなわれていれば「お金持ち」ということになります。身体を壊して働けなくなっても収入が途絶えることがない状況がそうです。

 

 

世間一般的には、働くことで給料がもらえて、それが収入として支出をペイして日々の生活が成り立っている、と考えられています。つまり、生きていくためには働かなければならない、ということです。すると働くためには就職しないといけないから、より確実に就職という選択を選べるように勉強頑張りましょう、という理屈になります。だから学校教育があるわけです。そして学校教育の中ではこの「世間一般の常識」が刷り込まれていきます。「別に働きたいくない人は働かなくてもイイんですよ。そういう生き方もありますから。そうであれば嫌な勉強も無理してしなくて良くなりますしね!」なんて授業中に言われたことはないはずです。そういう発想はおそらく邪道で、おかしな考え方だと思われるかも知れません。

 

 

ただ私の場合は、その「お金持ち」の状態(不労所得が支出を上回っている状態)が永続されるだけの保証がまだありません。ですから正確には「真のお金持ち」ではないのですが、何もしなくても必要最低限以上のお金が作れている現実を体感している身としては、「遊んで暮らす」が非現実な妄想どころかリアルなので、あとはそういう状況に身を置くための情報を集める努力をするかどうかである、と結論付けざるを得ないわけです。

 

 

遊んで暮らせる人の苦悩

遊んで暮らせるなんてなんて素晴らしいんだ!と喜ぶのはまだ早いかも知れません。金銭的な不自由から解放された人が大抵体験することになる苦悩がそこにはあるからです。

 

 

新型コロナウィルスによるパンデミックによって全世界的に問題となったのが個人の生活の危機です。仕事を失い給料が止まり収入がゼロになる、すると支出をまかないきれなくなり心が荒む。経済は鈍化し犯罪が増え社会不安が増大する。そこで日本では憲法第25条の生存権(日本国憲法第二十五条は、(1)「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」 (2)「国は、すべて の生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」 と、規定)に則り、将来的に個人の生活の必要最低限度を保障する必要から、ベーシックインカムを検討するレベルまで来ています。生活保護を全世帯へ拡張させ、一律の最低限の生活費を支給することで生活を支えるというものです。

 

 

すると今までは生活を支えるために給料が必要で、その給料をもらうために仕事をするという理屈で成り立っていた社会が根本的に崩壊します。人は働かなくても生活ができるようになってしまうからです。

 

 

私が先ほど「”必要最低限以上のお金”が作れるようになった」と表現したのは、贅沢を考えれば支出は必然的に多くなるわけですから、人によって”必要”だと感じられる金額にばらつきがあることに配慮したためです。何も贅沢を考えなければアパートの家賃と食費と電気水道ガスとプラスアルファが補えれば必要最低限をクリアしますから、もしそこが不労所得やベーシックインカムで相殺されれば、極論働かなくても生活を維持できます。私の場合は欲しいものがたくさんあるのでその分必要な金額は高くなってしまうわけですが、そこまで補ってもなお余りある金額が保証される状況になれば、真の「遊んで暮らせる」状態だと言えそうです。

 

 

何を言いたいかと言うと、真に遊んで暮らせるようになるともう本当に何もしなくても良くなってしまうということです。そしてその「何もしなくてもイイ」「好きなことだけをして過ごしてイイ」が毎日続くとどうなるか。予想通り、人は無気力になっていってしまうのです。

 

 

人は満たされるよりも、満たされたいと努力をしている時の方が幸せを感じられるものです。『魔女の宅急便』の中で井上あずみさんが歌う『めぐる季節』でも「幸せを探す人が一番幸せだって」と歌われているように、たどり着くまでの過程が最も楽しくワクワクするもので、それはたどり着いて得られる達成感よりも長く心を満たしてくれます。それを私たちは無意識のうちに理解していて、望んでいるのかも知れません。だからそれは夢のままである方がイイ。

 

 

本当に、何もしなくてももう生活の心配をする必要がないよ!という状況になると、人は残念ながら暇になってしまいます。今までは「それをしないと生きられない」とか、ある種現実逃避の手段として”好きなこと”をしていたという状態だったから継続可能だったことが、抑圧から解放されるとバランスが崩れていきます。それをする理由を失うからです。すると今まで自分が思っていた”好きなこと”が、それを好きなだけやっていいよと言われた途端、なんだかやる気が失せてしまったりとか、頑張って成り立たせていたものを急に取り上げられると、人は何をしてイイか分からなくなってしまうのです。

 

 

こういった虚無感というか、やり甲斐の感じられない状況に放り出されると、実は「遊んで暮らす」という夢のような生き方が、実はたどり着いた瞬間に虚しくなってしまうことも十分あり得るというわけです。これがお金の不自由がなくなった世界の苦悩と言えるかも知れません。

 

 

ワクワクした状態で遊んで暮らす方法

そんな苦悩も経験しながら私が行き着いた結論を最後にお話します。

 

 

タネを明かしますと、私が経済的に自由な状態にいられるのはある投資のおかげです。この投資と出会えたことが間違いなく人生上大きなきっかけになりました。ただ、私がこの記事でお伝えしたいのは投資のススメではなく、遊んで暮らすということをリアルに考えた上で子どもたちと思考を共有できるかことが大事だ、ということです。そしてその先にある苦悩も理解した上で、どうその遊んで暮らせるワクワク感を持続させて真に幸せな人生にするかを考える必要があります。

 

 

先ほど申し上げたように、贅沢を考えればキリがありませんが、逆に言えばこの「もっと」がワクワク感を持続させるポイントです。お金のことを心配する必要がないのなら、思い切って好きなことに舵を切る。人は勉強のことを考えて不安になったりお金のことを考えて心配になったりすることに慣れすぎていて、かえって「何も考えずに好きなことをして過ごす」ということに違和感を感じてしまいます。でもそれが本当に許容される世界にたどり着いたのなら(たどり着きたいのなら)、なんの心配もせずに好きなことをして過ごしていいのだという現実を受け入れるしかありません。

 

 

これはとても不思議なことですが、その夢は現実で、自分に手に入るリアルであり、そういう世界に罪悪感を抱かずに飛び込んでイイのだと自分を許すことが、ワクワクを持続させて一生を幸せに過ごす秘訣となります。あとはどう贅沢の幅を広げていけるか。もちろんここは人それぞれですが。「自分は贅沢なんて要らない」という人もいますし、高級外車を所有しプライベートジェットで海外を飛び回り、好きな服をたくさん買って毎日美味しいものを食べて過ごしたい、ということであればそれなりにプラスの収入が必要になります。そこをどうするかで考える、努力する余地を作れます。要は自分で生き方を選択できるようになるのです。

 

 

ここまででイイや、でもイイし、もっともっと沢山欲しい!、でもイイし、それを本質的な意味で選べるようになるということです。そしてワクワクを望む人は、後者の生き方を選ぶことになります。そうなると、結局は遊んで暮らせるようになる前の生活と変わらない状況になるかも知れませんね。

 

 

補足:「働く」という言葉の定義

最後に補足です。そもそも「働く」をどう定義するかで話の内容が変わってしまいます。

 

 

例えば今のサラリーマンの方の生活のように、定時出勤にしろフレックスタイムにしろ、どこかのコミュニティに所属し、ある程度のルールを守りながら、定期的に給料をもらうことを「働く」と定義することもできます。

 

 

例えばデイトレーダーのように、毎日モニターでチャート分析をかけて株やFXの売買に勤しむ行為も「働く」に含めることもできるかも知れません。

 

 

中には、1日1分の超簡単な作業すらも「働く」に含めてしまう方もいらっしゃるでしょう。

 

 

ただこの記事の中の定義としては、100%が自分の意思ではない状態で、かつ自分以外の誰かに家計を支えてもらっている対価として行う作業や労働といったものを「働く」ということにしましょう。仮にそれが100%自分のやりたいことで、結果的にコミュニティに所属し給料を保証してもらっているというだけであれば、それはライフワークであって「働く」ではないということにして下さい。できることならしたくないこと、でもイイかも知れません。

 

 

そういう意味で「働く」を捉えた時、働くことなく生活が安定できる生き方をしたいというのを「遊んで暮らす」と言うか「働かずに生きる」と言うかの違いだと考えて今回の記事をご覧いただくと分かりやすいかと思います。

 

 

 

 

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