熊本 塾|学校の成績や偏差値のために勉強するのをやめなさい

こんにちは。熊本の勉強戦略コンサルティング指導、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です。

 

 

かなり明確に提示しておきたい勉強に対する方針ですが、学校の成績や偏差値のために勉強するのをやめていただく方が、かえって成績偏差値は上がっていくものです。他人に評価されることに慣れてしまうと本質を見失ってしまうというのがその理由。勉強を一体なんのためにやっているのかをしっかり思い出して下さい。

 

 

もし学校の成績を上げたいとか、テストで偏差値を上げたいと思われるのなら、まずは勉強に関するベクトルを変えていただきたいと思います。今日はそういう話をしていきます。

 

 

勉強するのは誰のため?

まずはここです。ただ難しいのは、子どもたちはそもそもが「勉強はやらされるもの」という認識になっている場合が多いということです。

 

 

小学校に上がった時から、もしくは幼稚園に行っている時から、子どもたちは自らの判断というよりも保護者さまの意向で通うことになっています。判断を下すのが保護者であるというのは当たり前ですし、自然なことなのですが、それが「勉強が楽しくない」ということになってくると、余計に強固になっていく場合があります。

 

 

特に中学校、高校に上がった時に勉強が惰性になっている子というのはその気が強いです。やりたくもない勉強を無理やりやらされている感が強すぎて本来の目的を見失ってしまっています。

 

 

ですからここで一度考えて頭の中を整理しなければならないのです。それが「勉強するのは誰のためなの?」ということ。一体誰のために勉強しているのか、自分のためと言えないのだとしたら何が間違っているのか。それを明確にする必要があります。

 

 

おそらく保護者さまの多くは「勉強は自分のためにやるものでしょ」とお考えかも知れないのですが、その前提を一度捨てていただかなくてはなりません。必ずしもその感覚が”当然”とは言えないからです。

 

 

子どもたちは勉強に対して「自分に必要だからやっている」という感覚はありません。むしろ「やらなければならないらしい」という世の中の仕組みを理解して受け入れている感覚です。ですから「勉強するのはあなた自身のためでしょ」と言われることに、かなり違和感を感じる子もいます。私が実はそうでした。

 

 

学校の成績を上げる、テストの偏差値を上げる

学校の成績を上げることや、テストの偏差値を上げることに対して、誰もがそれを善だと疑いません。”誰もが”というのは、学校や塾という世界しか見えていない人たちのことです。小中高大というレールの上を何の疑問もなく進んで来れた方たちは、勉強するのは当たり前でしょ?という感覚になってしまっています。

 

 

しかし一方で、私たちのようにレールを降りた人間にとって、勉強以外の世界がどれほど広いのかが見えてしまっているので、勉強とか学校の成績とかテストの偏差値というものがあまり絶対視されません。

 

 

学校にいれば(大抵は学校に通っていますが)、学校の評価軸が人生の全て(もしくは最優先項目)のように錯覚してしまいます。受験が必然的にやってくるので、その受験で合格することが絶対的に必要です。不合格はできるだけ避けたいこと。

 

 

でもその「学校」という世界が、かつての鎖国していた日本のようなものだと分かったら?それが唯一の世界だと思っていたものが、実はその外にもっと広大な世界が広がっていて、自分がいたこの勉強とか成績とか偏差値に縛られた「学校」という世界がちっぽけな、世界全体のほんの一部だったということが分かったら、きっと勉強の見え方がガラッと変わりますよね。

 

 

勿論、学校の成績を上げるとかテストの偏差値を上げるということが間違っているとは言いません。しかしそれがベストな努力か?と言われたら、違うでしょう。そして、勉強は全てではない。

 

 

一方で、これは勉強を否定するものではありません。むしろ逆で、勉強しか見せないから勉強の意味が分からないのです。勉強以外に広がった無限の世界が見えるから、勉強の意味が客観的に見えてくるのです。勉強の意味が見えれば、「やれ」と言われなくてもやるでしょう。やらされる勉強ほど無意味でキツいものはない。だからやりたくないし、実際やらない。だから成績も偏差値も上がらない。この点をブレイクスルーしていくことが当塾の狙いです。

 

 

他人の評価で生きていくことをやめる日

学校の成績やテストの偏差値というのは、あくまでも誰かが下した評価に過ぎません。当然会社に入っても、ノーベル賞を取るにしても、誰かの評価に触れることは避けられませんが、しかし一方で、出世や賞の受賞は、評価されることを狙った人ではない人が得やすいように思います。それは「自律」した人です。

 

 

自分が自分のことを評価することには絶対的な前提が必要です。それが「自律」です。単なる甘えやワガママなだけでは自己評価は単なる自己満足になってしまいます。独りよがりな評価では勿論いけない。

 

 

ただ、誰かの評価ではなく、自分自身が自分の行為を律することができれば、それが本来のあるべき姿になります。

 

 

もっとこうした方がいいのではないか。

この場合はこうした方がベストなのではないか。

もっといい方法はないか。

今のままで将来欲しい未来に辿り着けるのか。

この問題はどうしたら解決できるのか。

 

 

飽くなき向上心は誰もが生まれながらに持っているものです。でもそれをどこかで忘れてしまいます。なくすのではありません。「忘れる」のです。だから、思い出すことさえ意識すれば、いつでもそれを取り戻すことができます。

 

 

誰かに評価されるために一生懸命努力するよりも、自分自身の納得のいく結果のために努力することを習慣付けて下さい。勉強するにしてもしないにしても、何をするにしても他人ではなく自分の評価を優先して考えるようにしましょう。納得のいく生き方、納得感。それが結果的に最も幸福になれる秘訣です。

 

 

もし学校の成績やテストの偏差値を伸ばそうと思ったら、勉強以外のことに目を向け耳を傾けて下さい。そうやって視野を広げて世界認識を広げることで、見えなかった何かが見えてくるものです。

 

 

頑張らなくても成績が上がる理由

かつて日本には寺子屋という学び舎が全国にたくさん存在していました。それこそ、当時の人口は今の4分の1ほどしかなかった時代に、今日本にある学習塾と同じくらいの数あったのだそうです。コンビニの数くらいと思って下さい。それらを全部潰して、その上に人工的に作られた制度が「学校制度」です。

 

 

寺子屋がそんなにあったのには理由があります。子どもたちが学びたいことの数だけ存在する必要があったからです。子どもたちは色んなことを知りたい。知りたいことは沢山ある。それを教えられる人がそのテーマで寺子屋を始める。そういった個の動きが各所で起こり、子どもたちの好奇心の数だけ学び舎が乱立し、それぞれがちゃんと機能していたのです。

 

 

それが明治維新となり西欧列強に追いつき追い越せとなった頃、国は国主導で目的に適った国民を効率的に生産する仕組みを欲しました。それがフランスから取り寄せた学制という制度です。これは歴史です。学校に対する否定的な意見などでは決してなく、これが事実なのです。それが証拠に、当時学制が敷かれてすぐの頃には日本各地で学校の打ちこわし運動が起きていたほどです。それを軍で鎮圧しながら推し進めてきたのが学校教育制度です。

 

 

つまり、子どもたちの本来的な性格は好奇心であり、学びたい、知りたい、にあります。それを、好奇心を持つ前に摘み取るような行為が小学校から始まる義務教育制度である、と見ることもできます。”いつか”役に立つであろう知識を国が先回りして教えるというのは、子どもたちにとってはありがた迷惑な話なのです。自然にしておけば色んなことに興味を持つのです。ですから、本来は頑張ろうとなんてしなくても、自然に何かを知りたいと思い、そのために先生を探すものなのです。

 

 

ただ、その自然状態にお子さまを戻すためには、一旦意識的に今の勉強への取り組み方を切り替える必要があります。そして無事に切り替えることができれば、子どもたちは自分の知りたいことに興味関心を向け始めます。問題はその切り替える余裕を、周囲の大人がどれだけ作れるか。当塾はそのための環境をサポートする学習塾です。

 

 

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