安倍元首相の”国葬”は何が問題なのか!?高校生の投稿から垣間見える危機(社会)|熊本市の学習塾ブレイクスルー・アカデミー

こんにちは。熊本市の教育&勉強攻略アドバイザー、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です。


2022年7月8日11時31分頃、奈良県奈良市の近鉄大和西大寺駅北口付近にて、元内閣総理大臣で自由民主党所属の衆議院議員である安倍晋三氏が演説中に銃撃され亡くなられました。その安倍元首相の”国葬”が今月9月27日に予定されています。


そもそも安倍元首相の”国葬”に関しては、7月22日の閣議で、岸田内閣の下で早々に”国葬”という形式を決定してしまったわけですが、それ以降、この事件が山上容疑者の言うような旧統一教会絡みの問題であったとか、その国葬が適切なのか、むしろ安倍首相の国葬には反対だ!といった論争が続いています。


そんな折、私個人のSNSであるFaceBookのニュースフィードにこのような記事が流れてきました。「この投稿してきた高校生の言い分は最もだ」と言う趣旨の内容です。


勿論、この記事を添付し投稿している方は、この高校生の意見に全面的に賛成する、という内容でした。さらには、その方の記事のコメント欄にも以下のような賛同するコメントが続いていたのです。


・激しく共感。
・私も読みました。こんな若者が増えてほしい。
・私も全く同感です。
・正にその通りだと思います。
etc.


この状況を見た時に、私はかなり危機感を覚えました。齢16歳程度の高校生ならまだしも、大の大人が、それも一人二人でない大人の方々が、この高校生の意見に賛同し、素晴らしいと評してしまっているのです。正直私は「ちょ、、、ちょっと待って!」と声を上げてしまいました。本来であれば、こう感じている子どもたちに「そう言いたい気持ちは分かるけども」と”待った”をかけ、その理由を説明するのが大人の役割のはずだからです。


熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミーの代表として私は、政治的な問題に意見を挟むことは控えている方の人間です。理由は単純で、政治的な意見の相違は人間関係を感情的にこじらせやすいからです。しかし一方で、こういったリアルな社会の出来事を子どもたちと一緒に考えることは大切だと思っていますし、それこそが教育の1つであるとも思っています。政治的に偏った思想は植え付けてはいけませんが、何が問題なのかは適切に伝えられる立場でありたいと考えています。だからあえて記事に起こしました。


それに、純粋に言って政治的発言は危険だからでもあります。ましてや私は実は選挙にも足を運ばないほど政治には無関心です。それは現実的に考えて選挙に出向く価値が見出せないからであり(成人年齢を18歳に引き下げ無理やり若年者投票数の水増しを図っていることからも想像がつくと思います)、そんなことは当然あえて口にしない方が良いことも理解しているのですが、その反面、世の中の仕組みや日本の過去や世界の流れには関心が強いために、歴史に関しては人一倍関心を傾け本を読み、調べている方の人間でもあります。今回のようなことも、かつてのアメリカ大統領選挙の裏もそうです。語弊を恐れず言えば、多少は陰謀論にも興味があるため、陰陽両方に関して情報収集を密に行っている上で現状起きていることを観察しています。


その立場で今回の安倍元首相の”国葬”に関する論争を観察していると、そこにはどうしても感情論や死生観といった感覚的なものがやり取りされていることが伺えるのです。その結果今回ご紹介した高校生のように、「この国のために頑張った人を国葬にして何が悪い?」「そんなことに文句を言う大人たちは無粋ではないのか?」「わざわざ欠席を公言するなんて死者に対して失礼だ」といった感情論が湧いてしまう。


別に一高校生の意見が新聞に掲載されたこと自体は問題ではありません。それはむしろ素晴らしいことです。考えるきっかけにもなります。また、その意見に対して賛否両論あること自体も悪いことではありません。この高校生も、自分の意見が「君はまだ不勉強に過ぎる」とバッシングに合う覚悟もあることでしょう。ただ私が思うのは、きっとこの高校生のそばには、なぜ安倍元首相の国葬がここまで論争を呼んでいるのかをちゃんと教えてくれる人がいなかったのだな、ということです。この投稿に賛同している大人たちを見ていて、ふと教育の現場が心配になりました。安倍元首相を国葬にして欲しくない人がなぜいるのかを説明してくれる人さえいれば、この高校生もこんな投稿はしなかったはずだからです。


そしてそれは、左翼がどうとか、死生観がどうとか、なんて日本人には冷たい人がいるのだとかいう、そういう感情的な問題ではないことを知れば、この高校生だってもっと違った考え方ができるはずで、そういった意味で「教育とは本当に大切なものだな」と感じざるを得ませんでした。だから私はモヤモヤして、この記事を書かずにはいられなかったのです。


そこで今回は安倍元首相の国葬論議に触れて、なぜ”国葬”が問題視されているのかについて踏み込んでみたいと思います。あまり政治的なことに触れたくはありませんが、時には良いかなと^ ^ 社会科の勉強だと思って少しお付き合い下さい!


まず、先ほども申し上げたように、今回の国葬問題については左翼がどうとか、死生観がどうとか、そういう話ではないことをご理解下さい。「国葬でもいいじゃないか」と言っている方(特にこのFBのコメントで賛同していたような方々)は、おそらくあまりこの問題について考えていないか、わからないことを調べて理解を明らかにするということをされていない方なのだと思います。少しでも調べれば、この国葬問題の争点が何かはすぐに分かるはずだからです。そしてその”問題”は思いの外根深く、ある意味自分がどういう状況にあるのかを知るための試金石にもなると考えています。


最近話題なのは、民主党の議員たちがこぞって「私は国葬に参列しません!」といった意思表示を、画像と共にTwitterなどに投稿していることです。「そんなのわざわざ言う必要あるか?」「この行為は流石に亡くなった安倍元首相に失礼だ」と言った反応が目立ちますが、実際国会議員の方々のこういった意思表示を明確に示している姿勢に、それを見せられている国民が感情を煽られるのは当然なのですが、しかし、ではなぜ彼らがこんなことをあえてするのかという、その行動の意図を探ってみると、この問題の争点が見えてきます。


そもそも”国葬”とは何でしょうか。


”国葬”とは、wikipediaによると、国家にとって特別な功労があった人物の死去に際し執り行われる、国費による葬儀のこと、とされています。戦後で言えば、もし安倍元首相の国葬が実施されれば、1967年の吉田茂元首相以来2例目となるものです。


例えば、悲しいことですが、ここ最近で他国のリーダーがお亡くなりになる事例が重なっています。最近で言えばイギリスのエリザベス女王の国葬に日本の天皇陛下が皇后様とご一緒に参列されたこと。また、8月30日に亡くなられた、ソヴィエト連邦最後の指導者で、アメリカとの冷戦を集結させたことでも知られるロシアのミハイル・ゴルバチョフ元大統領の葬儀が9月3日に行われました。ゴルバチョフ元大統領の葬儀については、ギリギリまで検討されましたが、結果的には国葬”的な”意味合いを持つ葬儀という形式となりました。


そこに来て、安倍元首相の銃撃事件とその死亡を受けての、葬儀の形式をどうするのかという”問題”。


私個人の見解としては、安倍元首相のことは好意的に見ていました。それこそ2007年9月に一度首相を辞任された時、熊本にも当時安倍元首相の側近的な立場でいた石破防衛大臣(当時)が来られて講演会が行われた際には、私もその講演会に参加しました。別に政治的に自民党を支持するとかではなく、芸能人を観に行こう!くらいのミーハー的テンションです^ ^; ただ、その時の石破さんのお話はとても印象深く、国民からそうスカンを食らい、安倍元首相も多くを失い、失意のどん底に沈み、それでもなお国民の信頼を取り戻すために自民党が何を考えどう行動していたのかを聞いたその頃から、総理大臣という立場で生きていくことがどれほど高ストレスなものなのかを考えさせられましたし、その後復帰してからも、アメリカのドナルド・トランプ元大統領やロシアのプーチン大統領など、世界各国の要人とも良好な関係を築きながら活動されていたことを受け、世界平和のために多大なる貢献をされていた様子は、日本のリーダーとして本当に誇らしく、好意的な印象を感じていたほどです。勿論、陰謀論が好きな私でしたが、裏で安倍元首相がどんなことをしていたのか、他の政治家や宗教団体とどう繋がっていたのかは、未だ勉強不足で本当のところは分かりませんが、確かに国葬扱いでも申し分ない功労者ではあったろうとは思います。思いますが、それを岸田内閣が早々に決定して「国葬にします!」と言ってしまうことがどういうことなのかはある程度分かるつもりです。


これは決して日本人の死生観とか、国のために貢献した功労者に対して冷たい、優しいとか、安倍元首相もそれだけのことをしたじゃないかといった感情とは別にして考えるべき問題です。これは政治であり、そこに意図があって、ある種の洗脳でもあり、大袈裟に言えば、民主主義への冒涜であるという、この日本の根幹に関わる問題だからです。


これがもし天皇陛下がお亡くなりになられた場合などは議論の余地もないでしょう。ただ、安倍元首相の葬儀を国葬にすることを国民への合意なしに勝手に決められてしまうことは大いに問題視されて仕方ない問題です。安倍元首相は一政治家に過ぎないからです。


ここで別の観点から気を付けないといけないのは、この国葬反対に関する論争が、この大いなる功労者に対して国民の立場から弔意を示すのか示さないのか、という問題とは全く違うよ、ということです。というのも、私的な葬儀自体は終わっているからです。


私的な、というのは、ご遺族であられる安倍昭恵夫人が喪主として行う安倍晋三氏個人の葬儀です。安倍晋三氏個人の葬儀についてはすでに7月12日に東京の増上寺で家族葬の形式で行われているのです。その際には多くの国民も最後のお別れに駆けつけたと言います。問題となるのは、国家への功労者たる安倍元首相を公に弔う形式が”国葬”で良いのかどうかです。


例えばこれが自民党が支援する形で行われる大々的な葬儀、という形式であれば問題はなかったはずです。あくまでも自民党が支援者となり、内閣総理大臣としてこの国に命を賭して貢献された安倍元首相を弔いたい、もし弔意のあられる方がいれば一般の方々にも開かれた場を設けて参列していただけるように計らう、献花も是非ご自由にしていただきたい、こちらは強制しないけれど、是非ひとりでも多くの国民の皆さまと安倍晋三氏とのお別れを共有したい、ということであれば、もしかしたら、今欠席を表明していた議員の方々も、党の立場を超えて個人として参列して下さったかも知れません。しかし、今回もし国葬を受け入れてしまえば、それはあたかも「安倍晋三はこの国の英雄である!国民全員で讃えよ!」というような国葬扱いを受け入れてしまったことになります。ましてや、海外からすれば「安倍元首相の国葬」は、そういった感覚を日本人は安倍元首相に持っているのだなという印象にもなります。北朝鮮が金日成元国家主席を国葬で弔うのと同じような感覚です。これはつまり、安倍氏の権威を利用して自民党の一党独裁を暗黙のうちに受け入れてしまう危険性にも繋がり得ます。無自覚のうちに洗脳が進行し、いつの間にか「自民党の他には、もはや頼れる党はないだろう」という潜在的な思考を植え付けられてしまうかも知れません。「国葬でいいんじゃないの?それだけのことをしたんだから」と安易に言ってしまうことの危険性はここにあるわけです。


何も知らない高校生であれば、そう見えても仕方ないとは思います。確かに安倍元首相はそれだけの功労者であることは間違いありません。ただその葬儀の形式を国葬にする旨を無抵抗に受け入れてしまうことの問題は、「安倍元首相万歳」に繋がってしまうということですし、それは自民党が勝手に国民の総意を決定してしまうことと同意です。勿論これまでも集団的自衛権の問題の時や、特定秘密保護法の問題の時も、その独断的な行為への批判は起こりましたが、民主主義で成り立つこの国で、国民の合意なしに、その納得が必ずしも得られない一政治家を祭り上げて国葬に値する人物であると決定してしまう政府を野放しにすることは、政治に無関心な若者が多い現状においては特に、看過しない方が良い問題であると言えるのです。


それは死生観とは全く関係ありませんよね。安倍元首相に弔意を示さない、という話でも勿論ありません。安倍元首相が、この平和な日本において銃弾に倒れるという暗殺事件のインパクトが大きすぎて、その印象が先行していますが、それを置いてもまず葬儀の形式が適切ではないのではないかということと、それを話し合いもせずに独断してしまう政府の政治的な意図に気付かないまま「頑張ったんだからイイじゃん!」で済ませてしまうのが適切なのかどうかということを、今一度ここで考えていただきたいと思います。皆が納得する形であれば、結果的に国葬という形式になっても問題にはなりません。国会議員の方々が失礼承知で躍起になっているのは、こういうことが問題の根本にあったからなのです。


安倍晋三氏はこの国のために多大なる貢献をされた素晴らしい政治家だったと私個人は思います。ただ、その葬儀はもっと国葬”的”であるべきだった。早々に「国葬!」と決めてしまったのがマズかったよね、ということをお話してみました。あまり政治的な話はしたくありませんでしたが、考えること、調べることで見えてきたものがあったので共有してみました。何かの参考になれば幸いです^ ^




 

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