熊本 塾|「勉強しなさい」と言われない子の方が豊かになれる理由

こんにちは。熊本の勉強戦略コンサルティング指導、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です。

 

 

昔からよく言われるのは、「勉強しなさい」と言われたことないです、という子ほど成績が優秀だったりするというもの。実際ある保護者さまがPTAに参加した際、他の保護者の方が「私はうちの子に勉強しなさいなんて言ったことないんです」と話されていたと伺いました。そしてその子もやはり優秀なのだそうです。

 

 

なぜ「勉強しなさい」と言われる子は成績が芳しくなく、「勉強しなさい」と言われない子の方が優秀になってしまうのでしょうか。「勉強しなさい」と言われない子の方が精神的に心理的に豊かになっていくそのメカニズムを追いました。

 

 

子どもたちは勉強したくない、わけではない?

まずこの前提を考えるのが結構難しいのですが、そもそも子どもたちは勉強したいのかしたくないのか。

 

 

実はその前にハッキリと線引きしなければならない話があって、当塾ではしっかり教えていることですが、「勉強」と「学び」は全く別次元のものだということです。ここを混同されている方が非常に多い。特に教育者にこういう勘違いをしている方が多いから厄介です。勉強と学びは違う。

 

 

勉強とは、受験のために英数国社理の知識を覚えさせられることです。学びとは、自分の知らなかったことを知りたいと思うことです。全く次元が異なる2つの概念を、教育現場では意図してかせずか、混同して扱っているので、自分たちがそのせいで混乱を来している感じです。

 

 

学びは受験などとは切り離された純粋な好奇心や関心、興味、ときめき、ワクワク、興奮を伴う楽しいこと。ただ「学習」という言葉はまた「学び」という字が入っているものの「勉強」に近いニュアンスで使われているものと考えます。

 

 

そういうことを踏まえて「子どもたちは勉強したくない、わけではない?」というタイトルを吟味してみると、子どもたちは確かに「勉強」はしたくなくなっています。勉強なんてしたくないのです。しかし「学び」についての意欲は誰もが潜在的に100%持っているものと言い切れます。特に子どもたちは知らないことだらけですから、「知りたい!」「あれは何?これは何?」と自然と大人に問いかけて来ます。

 

 

つまり、子どもたちは「知りたい」のです。「学びたい」のです。ただそれは「勉強」というわけではないという点が難しいところです。

 

 

なぜ「勉強しなさい」と言わないでいられるのか

「勉強」と「学び」が全く異なるものであるという点を肯定していただけると仮定して話を続けますと、次に考えたいのは「なぜ、その保護者の方々はお子さまに『勉強しなさい』と言わずに過ごせるのか」という点です。

 

 

これはおそらく多くの保護者さまにとって大いなる謎かと思います。我が子の生活を見て、勉強しなさいと言わずに我慢しろと言われても無理だと感じられる方の方が多いはずです。

 

 

それこそ簡単かつ納得できる答えを出そうと思えば「きっと親子間の信頼関係がしっかり築けているからだろう」と言うこともできますが、ことはそう単純ではありません。信頼関係がなぜ築けたのか、なぜ勉強しなさいと言わなくても平気なのか。その背景にはもっと深い理由があります。

 

 

それは、保護者さまにとっての勉強への意識です。学校の成績やどこの高校、どこの大学に行くかということよりも、もっと大事な価値基準があるから、勉強面でのその子の行動が気にならないということです。

 

 

逆に考えて下さい。常日頃から「勉強しなさい」「宿題やったの?」「いつまで遊んでるの」といった言葉をお子さまに掛けてしまっている方というのは、おそらく学校の成績や受験の合否が思いの外気になられている方でしょう。成績が悪ければこの子が困る、受験の失敗したら将来この子が困る。そう思い込んでいらっしゃるのかも知れません。

ですから、「勉強しなさい」と言わずに過ごせる保護者さまにとって、勉強がそこまで大事なものではないというのが、そう言わずにいられる理由です。将来を決めるのは勉強でも成績でもないと考えているのです。もっと大事なものがある。勉強もそりゃあ大事だろうけど、そのもっと大事なものをしっかり育ててあげる方がよっぽど将来のためになる。そう考えられているのかも知れません。

 

 

つまり、勉強はお子さま本人がやりたければ応援するし、やりたくないと思うなら、それを一緒に考えて、それでも大丈夫なような別の道を一緒に見つけていけば良いと考えているのでしょう。勉強はその程度のものなのだと。

 

 

勉強を頑張っても将来は良くならない

高度経済成長期の日本であれば、まだ勉強を頑張ることが自分の出世や高給、ひいては生活の安定に直結していたかも知れません。もちろん勉強の意味、学びの意味は時代に関係なく不変なものですから、当時から意味合い的には変わっていないのですが、社会の価値観や世情が大きく変化したことによって、段々と勉強の意味、学びの意味が本来的な意味合いになってきているように思います。

 

 

それこそ高度経済成長期の日本においては「勉強=学び」という理解でも良かったのです。それで困ることがあまりなかったからです。でも本当は意味が全く違う言葉ですし、何よりそれを理解していた人たちが確実にいて、その上で各分野で第一人者になっていた先の未来に、私たちがいるというわけです。はじめから「勉強≠学び」という理解があった方にとっては何ら困らないのですが、「勉強=学び」と思っていた人にとっては、時代の変化と共に勉強の意味も変わってきたように感じてしまう。それが今の混乱をもたらしている理由です。

 

 

そして、将来のために必要なのは勉強ではなく「学び」だと分かっている人たちは、「教科書を鵜呑みにするな」「本当の正解は教科書には載っていないよ」とメッセージを送る。「勉強しなさい」と言わずに過ごせる保護者の方々も、おそらくそれが何となくでもお分かりいただけているのだと思います。

 

 

英数国社理の勉強をどんなに頑張っても、将来が報われるかどうかは全く別の話です。ここにはもはや相関関係すらありません。勉強を頑張っても「それは良かったですね」と言われて終わる時代です。「で?勉強頑張って何を得られたのですか?」と普通に問われる時代なのです。持っているだけの知識なんて何の意味もありません。勉強も考えずにやれば単なる時間つぶしの作業に過ぎない。この残酷な現実をしっかり受け止めた上で、それでも勉強を捨てきれないと言うのなら、せめて将来のためになる形で勉強を活用していくしかありません。

 

 

勉強も、それ単独ではもはや将来を良くしてくれるものにはなり得ませんが、勉強を「学び」のレベルまで昇華させることができれば、まだ望みはあります。テストのためでも受験のためでもなく、本質的に自分の人生をもっと善くするためのものとして勉強を受け入れ扱っていくことができれば、いまの勉強への努力は必ず将来を引き上げてくれます。当塾ブレイクスルー・アカデミーはその方法を教えている塾です。

 

 

勉強はただやってもダメ。考えて取り組まないといけません。でもそんなことを教えてくれる塾はありませんし、学校ですら教えません。テストがどうとか、クラスがどうとか、受験がどうとか。そんなものは正直どうでも良い話です。気にするから気になるだけで、人生の質を決めるものではありません。問題はお子さまがどんな価値を社会に提供できるか、社会でどんな力を発揮していけるかです。そのために勉強を利用できれば、「勉強しなさい」なんて言われなくても勉強するでしょうし、勉強していなくてもお子さまが自分らしさをしっかり育てられているのなら「勉強しなさい」なんて言わなくても気にならなくなります。

 

 

むしろ「勉強なんてしてないで、もっと自分にとって大事なことのために時間を使いなさい」と言える保護者の方が増えたら良いなと個人的には思うのですが、その話はまた次回に致しましょう。

 

 

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