熊本の塾長が警鐘「勉強、教育、学習、学問、学び、、、勉強という言葉の危険度」|熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミー

こんにちは。熊本の教育&勉強攻略アドバイザー、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です。

 

 

今回のテーマは日本語の難しさというか、勉強という言葉の危険度についてです。併せて挙げましたが、教育、学問、学習、学びといった似たような言葉がたくさんありますよね。でも、こういった似たような言葉が全部「勉強」という言葉1つで表現されているわけです。「されている」というか「そうできてしまっている」と言った方が正確ですね。知らず知らずのうちに学問の意味で「勉強」と言い、学びのつもりで「勉強」と言ってしまう。

 

 

日本語は世界で一番難解な言語なので、いちいち考えて使っていたら確かに疲れてしまうんですが、人生を左右するほど重要なワードととも言える「勉強」という言葉すらも、このように雑な扱われ方をする。そして、その結果勉強で苦しい状態になる子どもたちが毎年山のように出てくる。でも大人サイドも勉強というものの実態が分からないから、そういった子どもたちをどう救えばいいのか分からない。だから「勉強」という言葉は危険なのです。

 

 

そこで今回取り上げて私なりの解釈をお伝えしたいと思います。勉強という言葉を適切に取り扱っていただき、もう勉強で苦しむことのないようにしませんか?

 

 

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教育、学問、学習、学び、そして勉強

似たような言葉はたくさんあります。それぞれに勿論意味がありますし、広辞苑など引けば定義が出てくるかも知れません。しかし本当に大事なのは私たちがどういう認識でこれらの言葉を使い分けているかです。大抵広辞苑も時代の流れと大衆の使い方を考慮して定義を書き換えたりしているので、実質は実社会での使われ方にあるようです。

 

 

例えば最も身近な言葉で言えば「教育」です。学校教育というフレーズが最も人生に影響を及ぼす言葉ですが、その学校教育の主軸が正に「勉強」です。ここでの勉強は英数国社理のことで、そこに場合によっては副教科である家庭科、図工、保健体育、体育といったものも含まれるかも知れません。

 

 

この時の勉強と割と近しい意味合いで使われるのが「学習」です。学習とは「学び」という字が入っていますが、そこに込められた意味合いはちょっと違います。「学び」とは自ら率先して取り組むことに使います。好奇心やワクワクや興味関心といった自らの内側からくる何かに、自分の行動を合わせる時に自然発生的に行われるのが学びです。

 

 

しかし一方で、学習というのは周囲からの強制力が働きます。「自主学習」という言葉もありますが、これなんて「自主学習しなさい」の意味合いです。もっとやんわり言えば「自主学習やろうね」と言えますが、意味合いは同じです。周囲からの願望や要請が入ってきますから、純粋な学びという意味ではありません。勉強に近いでしょう。

 

 

「学問」という言葉はどうでしょうか。この言葉はもともと福沢諭吉さんの『学問のススメ』が最も有名かも知れません。学習と似た言葉ですが、こちらの方が重たい感じがしますね。この言葉は「勉強」とは対極にあるように感じます。なにせ学問のレベルになると、人からやらされてできるものではありません。好きなこと、関心の高いもの、知りたいと強く思えるものを探求する結果やれてしまうのが学問となります。

 

 

勉強という言葉の危険度

こういった言葉の定義を社会通念ベースに紐解いてきましたが、勉強という言葉の難しさ、もっと言えば、危険度はここからです。

 

 

例えば「資格試験の勉強」というセンテンスは自然に受け入れられます。この場合の勉強というのは資格試験の合格に至るまでの過程で行う努力のことを表現していますが、資格試験は自らの意思で行うのが普通です。自分はこの資格が欲しい、この資格を取ってキャリアアップを図りたい。それは誰かに言われて渋々ということもないことはないですが、実際には自分からセレクトした資格取得に乗り出すというのがメインストリームだと思うのです。しかし勉強という言葉がしっくりくる。

 

 

これはもう「お疲れ様です!」という挨拶と同じようなものです。浸透しすぎて幅広い場面で伝わる言葉になってしまった状態。でもいきなり「お疲れ様です」というのも、掘り下げて考えてみるとおかしいですよね。これから仕事だよ、みたいな。でも挨拶だし、まぁ気にすることはあまりないな、的な感じです。これと同じレベルにあります。

 

 

ですから「勉強になります」「ちょっと勉強してくる」「勉強させていただきます」などといった表現が、細かいことを気にせずに使えてしまう。それが通じてしまう。だから幅広いニュアンスを全て包含したまま勉強という言葉が万能なものとして浸透してしまっているわけです。

 

 

すると何が起こるか。一番困るのは子どもたちです。勉強という言葉が意味するものが理解できません。英数国社理が嫌で「勉強したくない!」と言えば、親からは「勉強は一生ものだよ!」とか「勉強しないと将来困るよ!」みたいなことを言われて困惑します。

 

 

「勉強は一生もの」の場合は学びの意味で使われていますし、「勉強しないと将来困る」という場合の勉強は将来への準備、備えとしての努力を指します。いずれも英数国社理とは全く異なる意味なのです。でも同じ「勉強」というフレーズになってしまうので、フレーズとしては繋がっていますが、意味がお互いにチグハグになって、結局は話が平行線を辿るわけです。

 

 

人生を左右するくらい重要なフレーズのはずなのに、いろいろな意味に取れてしまう曖昧性を残したまま社会に浸透してしまった勉強。特に学校教育でそれをされてしまうものだから、子どもの頃から勉強への理解が曖昧になってしまう。だから何をどうすればいいのかが分からない。すると、それが分かっている一部の子どもたちだけがトップを独占し、そのほかの多くの子どもたちは「頑張っても伸びない」と嘆きながらも、勉強を捨てられずに苦しむという悲しい現状に至るのです。

 

 

勉強で結果を出すためには

勉強という言葉に包含される意味、ニュアンスが多数あるので混乱する。だから何をしていいか分からず結果を出せない。となれば、その逆を辿って状況を改善することで、勉強で結果を出すことができるようになります。

 

 

問題はどの勉強で結果を出したいか。例えば私の場合は明確に「勉強=英数国社理」として、それ以外を「学び」「教育」とそれぞれ意味分けをして整理しました。あとはじゃあ、英数国社理という勉強で結果を出したいとすれば、「結果」とは何かをまた明確に定義し直します。すると、「受験に合格するに足る点数や成績」ということになるので、それ以外を切り捨てて力を必要なことだけに集中させることができるようになりました。

 

 

では受験で結果を出すために必要なことは何でしょうか?そこには「効率」だったり「授業」だったり「記憶」だったり「能力」だったりと、様々な言葉がまた現れます。そしてそれらにまた定義をし直して、結果を出しやすいように、取り組みやすいようにするのです。

 

 

こうして書くとものすごく面倒臭いと感じられるかも知れませんが、こういったことは私がもうやったことなので、コンサルを受けていただく過程で全てお話しします。頭の中を整理してもらえれば結果は自ずと出せるようになるので、もしご興味あればお声かけ下さい。頭の中がぐちゃぐちゃのままで勉強されるよりははるかにスムーズな努力をしていただけるようになりますよ。

 

 

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