熊本の塾長の教育論[続]|学校教育の奴隷育成構造と格差助長の受験制度が生まれた経緯|熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミー

こんにちは。熊本の教育&勉強攻略アドバイザー、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です。

 

 

今回の記事は前回の記事の続編になります。前回の『熊本の塾長の教育論|学校教育が洗脳機関と化したその理由とは!?|熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミー』でご紹介した苫米地英人博士の本『脱洗脳教育論』の内容があまりに衝撃的で、少なくない方にとっては強い拒否反応を引き起こしてしまいがちな内容だったため、もう少し補足をして誤解のないようにお伝えする必要があると思いました。あくまでも学習塾の代表である私の立場で、学校教育を奴隷育成の手段だとか、受験制度を格差助長のシステムだとか言うのは、相当リスキーなことだと考えているからです。

 

 

ただ、こうした厳然たる事実から目を背けて、表面的な成績や偏差値や合否ばかりに気を取られていたら、知らない間に勉強によって大事なものを失ってしまうかも知れない。私はそのことに気付いたからこそ、立場を押して危険とも取れるメッセージを発言し続けているのです。奴隷とか洗脳とか、そういうワードは確かに聞きたくないかも知れないけれど、そんなことを言えばそれは、死という要素を抜きに医療を語るようなものです。それは”嘘”でしょう。ましてや勉強は、子どもたちが人生上最も大切な若い時期の12年もの時間を、自分が何をさせられているのかを知らずに強制されるという異様な状況に置かれるわけですから、冷静に俯瞰しなければ怖い。

 

 

勿論、こうした側面を受け入れてもなお、学校に通い、成績を競い、合否で人生を篩にかけられる現実は変わりませんから、現実的に考えて学校や勉強とどう向き合い付き合っていくかは、本当に一人ひとりの意識の持ち方と行動に委ねられることになります。『約束のネバーランド』ではありませんが、周りに信頼できる仲間がいて、優しい面倒見のいい教師がいるからといって、その先に待ち受ける運命が必ずしも輝かしいものであるとは限らない。自分で危険を察知し、考え、備えなければ自分の身は守れない。

 

 

そこで今回も、前回から引き続き熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミー代表の教育論を補強させていただきたいと思います。

 

 

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学校教育が奴隷育成構造である言い切れる理由

日本で、詰め込み教育、受験一辺倒教育、偏差値による選別教育が始まったのは、60年安保・大学紛争以後である。いま思えば、あそこが日本にとって分水嶺だった。

日米安保が大問題であった時代、日本政府は、過激な学生運動に対して非常に強い危機感を持った。このようなムーブメントを放置してしまうと政権転覆も起こりかねないと考えた政府は、ここから国民教育を「愚民政策」に転換した。その象徴が「偏差値教育」である。

 かなり昔のことになるが、私は当時の首相に言ったことがある。「いまの政府は国民を騙すようなことばかりやっている。このままだと、国民は怒りを覚えて立ち上がるでしょう」と、このように進言したのだが、首相は私にこう言った。「大前さん、わが国は愚民政策を施しているから大丈夫だよ」まさかと耳を疑ったが、これは事実である。

 

 

少し長くなりましたが、こちらの文章は2009年に出版された、世界的経営コンサルタントである大前研一さんの『知の衰退からいかに脱出するか』からの抜粋です。日本の学校教育が国主導の下、明確に「愚民政策」として実施されていることが、時の首相の口から発せられた事実が語られています。

 

 

こんなことがなくても、今の教育が子どもたちのためになっていないことは容易にご理解いただけるはずです。子どもたちはおろか、彼らを教え導くはずの教師の方がむしろパンク寸前。受験制度と学校での指導要領は食い違い、そのミスマッチの負担は各家庭が負うことになっています。でもその過程で行われているのは、子どもたちに対してあれもこれもと彼らが興味もない知識情報をこれでもかと詰め込むことで思考力を低下させ、点数や成績を競わせることで周囲との協業(コミュニケーション)を阻害し(今やそこにコロナの影響が加わって益々「個人化」が進んでいますが)、IQそのものも低下させることです。

 

 

ではここで話を戻しますが、「奴隷」とは思考力を失った人、自由を失った人、誰かにすがらなければ生きていけない人のことを指します。自分のことを自分で決められず、嫌なことも強制的にやらされて、そんな現状から抜け出すこともできない状態のことを奴隷状態と言います。学校教育が奴隷育成構造になっていることの意味はここから見ても明らかです。これを全く無防備のまま12年受け入れ続けていたら、”杭に繋がれた象”さながらの結末になるのは想像に難くないのではないでしょうか。

 

 

受験制度が格差助長システムであると言い切れる理由

私は別に「受験制度が格差助長システムである」ことを悪いと言っているのではありません。努力した者が得をする世の中の構造自体は必要なものであると思っています。でなければ頑張る意味がなくなってしまう。公務員の世界のように、頑張ってもサボっていてももらえる給料に違いがないなら、どう上手くサボるかが重要案件になってしまっても無理はない。現に私の友人が先輩に言われたのが、正に先のアドバイスだったからです。でもそれは本人が悪いのではなくシステムに問題がある。そしてその先輩の選んだ生き方は正解です。

 

 

東京大学の合格者の親の年収に関する調査も有名で、東京大学が実施している「学生生活実態調査の結果」の2018年の調査では東大生は約60%が世帯年収950万円以上という結果です。950万円以上ですから、それ以上の細かいパーセンテージを追っていくと以下のようになります。

 

 

950〜1050万円未満 21.3%

1050〜1250万円未満 11.2%

1250〜1550万年未満 12.2%

1550万円以上 16.1%

 

 

つまりざっくり計算すれば東大合格者の親の平均年収は優に1000万円を超えることになりそうです。「平均」というのはちょっと警戒が必要な指標ではあるものの、60.8%が年収950万円以上ということになります。

 

 

そしてこれは東京大学だけの数値です。これを京大、一橋、慶応、早稲田、医学部などと拡張していけば、さらに親の年収と子どもの学歴の相関が見えてくることでしょう。こうした格差はこれから中学受験から始まると考えると、その格差のさらなる拡大が予想されます。

 

 

受験制度を俯瞰的に見れば、そこには確実にマーケットがあります。教育産業市場は今や2兆7000万円規模となっていて、その中には主要15分野にまたがっています。

 

 

教育産業全体市場規模に関する矢野経済研究所調べによると、その主要15分野とは以下のようになっています。

 

 

①学習塾・予備校

②家庭教師派遣

③幼児向け通信教育

④学生向け通信教育

⑤社会人向け通信教育

⑥幼児向け英会話教材

⑦資格取得学校

⑧資格・検定試験

⑨語学スクール・教室

⑩幼児受験教育

⑪知育主体型教育

⑫幼児体育指導

⑬企業向け研修サービス

⑭eラーニング

⑮学習参考書・問題集

 

 

つまり子どもたちのためという側面とは別に、経済的な事情や利権の問題も大いに絡んでいるということ。それが悪いことであるとは勿論言えませんし、そういう市場が生まれるのが必然ですが、それが結果的にブランド校への合格実績で競い合う市場を生み出し、だからこそ学習塾や予備校もひたすら子どもたちに知識暗記を強いることになるし、子どものためになるかどうかよりも、いかに生徒を沢山集客し、いかに多くのコマを取らせ、いかに継続してもらえるようにするか。東進衛生予備校などはその典型ですが、いかに多くのコマを取らせるかが収益の鍵ですから、各学習塾とフランチャイズ契約をしてノルマを課し、ノルマを課された塾側は生徒のためというよりノルマ達成のために授業の斡旋をするという構図になる。「それが生徒のため」「成績アップのため」と言われれば保護者さまも返す言葉がない。その結果生徒本人が必ずしも取る必要のない余計な負担(授業、コマ)を買わされて、そのせいで子どもたちは疲弊し勉強嫌いになっていく。

 

 

でもそもそもそういった高額サービスを買い続けられるご家庭の子どもたちがイイ実績となっていくことになります。そしてその実績が塾のブランドとなり、さらに次の集客に役に立っていく。資金力のある家庭の子どもたちが出した実績を看板に塾は集客をかけ、必ずしも資金力に余裕のないご家庭も含めて多くの生徒さんを抱え、でもその中でも資金力のあるご家庭の子どもたちがまた成績の上位を占め、イイ講師をあてがわれて塾の実績の糧になる。予備校などは良い成績で不合格になった学生を特別待遇で囲い込むこともあり、料金半額免除や全額免除などで生徒になってもらい、来年の実績候補として迎え入れる。彼らの免除された分を補填するのは、成績の芳しくない子どもたちの親です。

 

 

これはあくまでも相関関係の話であって比例関係の話ではありません。だから十把一絡げに言える話ではありませんし、皆がそうでもない。ただ現実として確実にそういう傾向はあるわけです。信じたくなくてもそういうシステムになっている。それを無視して理想論や感情論で仮想の現実を認識したくなるのは分かりますが、ブレイクスルー(現状打破)を信条に掲げる私は、むしろそういった現実を真正面から認識しなければ然るべき打開策を提示できない立場にあるため、時にこういう耳に痛いこともお話することにしています。それが私の覚悟です。

 

 

熊本の学習塾塾長の正統派異端系教育論

個人的にはよく自身の教育論のことを「正統派異端系」と表現します。元ネタは431年のエフェソス公会議において異端認定され、排斥された古代キリスト教の教派の1つ、コンスタンティノポリス総主教ネストリオスにより説かれたネストリウス派キリスト教です。

 

 

なぜ自身の教義(教育論)を正統派だと評しているかというと、勉強攻略において成績を伸ばす方法や効率的な勉強法を教えることは最重要案件だからです。一方でなぜ自身の教義を「異端」と評しているかというと、勉強そのものに価値を一切見出していないからです。超効率的な勉強法が必要なのは、勉強そのものに価値がないのにやらないといけない事情があるからであって、そんなものに時間を使うのは勿体無いから、速く済ませてもっと大事なことに使える時間を残しましょう、という思いがあるからです。成績を伸ばすにしても、どうせ勉強しないといけないのなら成績は良いに越したことはないし、もしやるなら結果を出さなければダメだと思うからであって、勉強だけに縛られる必要はない!という自由な世の中であればこんなことは言いません。やるならやる、やらないならやらない。

 

 

私は子どもたちに必ず聞くのは「勉強するの?しないの?どっち?」ということです。こんなこと聞かれたこともないという反応がほとんどですが、それ自体がおかしなことです。生き方は無数にあるはずなのに、勉強だけを至上命題かのように強制的にやらされるのは正確には人権侵害に当たります。教育基本法が根拠法としてあるから問題視されませんが、人の一生から俯瞰的に見れば、勉強以外の生き方も同じように尊重されるべき話です。でもそれは言っても利かないことで、日本に住んでいる以上制度には従う必要があります。だから私の教義は「効率的に勉強で結果を出す方法」を教える点では正統派だけれど、その実は「勉強なんかに人生振り回されないで、もっと自分の好きなことやろうよ」という思想なので異端というわけです。

 

 

でも結局はそうでしょう。自分が好きなように生きていくために今努力すべきなんであって、勉強のための人生じゃないはずです。でも皆んな後者な生き方をしてしまう。成績で人生の進路を決められることを受け入れてしまってる。とにかく合格、とにかく大学と考えてしまう。何のために学ぶのか、何のためにその大学を選んだのか。そういう点は面倒な話になってしまう。するとその先に待つのは成績をベースにした限られた選択肢だけ。子どもたちに許容された選択肢は無数にあるのに、それを見ようともしない。学校や学習塾の教師や講師の話を鵜呑みにし、鵜呑みにしないまでも少なくても気にして、沢山の学生たちの試験や模試の結果データから計算された”可能性”を自分のそれと勘違いし、間違った前提で間違った結論を出して「これが私の人生なんだ」と信じ込もうとする。そうしないと面倒なことを考えて保証のない道を歩いていく羽目になるから、それが潜在的に怖いのでしょう。完全に発想の順番が逆になってしまって自分の能力を見失ってる状態です。

 

 

なんでやらないといけないのかも分からず、やりたくもないことをやらされた結果が成績に反映されているだけです。それは能力を反映したものでは断じてない。でも子どもたちにはそれが分からない。自分がやったことの結果だから自分の能力の結果だと言われても反論ができない。でも違うんです。全然違う。それは能力ではなく、やったことの結果です。やりたくないことやってイイ結果が出るわけないじゃん。練習もろくにしないで、上手くなろうとすらしていない、まともに頭に入れる気もないでやった勉強で結果が出るわけないのに、それが能力のわけがない。好きなことならもっと違う結果になるはずです。興味関心のあること、自分が楽しいと思えることなら、何も言われなくてもやるでしょうし、勝手に覚えるでしょう。そんなものでテストなんかして欲しくないけど、仮にテストすることになってもそれなら英数国社理よりは解けるはずです。ましてや自分が本当に欲しているものや、もっと上手くなりたいと思えるものなら、自分が今どれくらいできるようになったのかを知るためにも、マイルストーンになるテストはかえって受けたいと思うかも知れない。そうすれば、仮に思ったような結果が出なかったとしても、次はもっとイイ結果を出すぞ!と自然に思えるし、そういった努力をするし、もっと自分を引き上げてくれるコーチについてさらに努力に磨きをかけるかも知れません。それだったら能力の結果がテストにスムーズに反映されやすくなります。それでもまだ正確に反映されるうちには入りませんが。

 

 

こうしたことを考えると、奴隷育成構造になっている学校教育のことや、格差を助長する受験制度のことも、最初よりは受け入れやすくなっていただけるのではないでしょうか。それでも言葉としてはイイ言葉ではないので、あまり頻発して使うべきではありませんが、そういう側面があることは明確に認識して欲しいと正直思います。

 

 

学校で言われることを忠実にこなしていくことが善ではありません。学校で言われたことから考えて、自分なりの結論を出してからすり合わせて判断すればイイのです。それが最善です。教師の言うことは絶対ではありません。教師の言っていることは、その教師個人から出た”意見”に過ぎない。そしてあなたにはあなたの意見があるでしょう。あとはその二つを使ってより良い意見に練り上げればいい。それが考える力であり生きる力です。

 

 

勿論私の言っていることも私の一意見に過ぎません。だから聞く聞かないは勝手です。でも耳を傾けていただければ、より現実的な解決策をご提案できます。ただ成績を上げるだけなら勉強量を増やし勉強時間を増やしていけば物量作戦で何とかなるでしょうが、大事なのは「なぜその勉強に大事な人生を投資するのか」です。それも12年間も。人生上最も大事な若い時期に。ここで一生が左右されるのは間違いありません。12年かけて間違った結論に行き着いた先で、一気に軌道修正するには多少の奇跡が必要でしょう。理論上は不可能とは言えませんが、それができる人は稀中の稀です。そう簡単にできることではない。だから気付くなら早い方がいい。絶対に。

 

 

今回はあえて面倒臭い話も詳細に論じることにしました。学校教育が奴隷育成だとか、受験制度は格差助長のシステムだとか、聞きたくない話を聞かせたことの、これは責任です。ですから安易に口にしているわけではなく、真剣に考えてきた結果現時点でたどり着いている最善解であると分かっていただけると、非常に嬉しいです。

 

 

長くなりましたがここまで読んで下さったあなたに本当に感謝致します。今後とも引き続き、こういった私なりの見解を共有させていただきますので、もしご興味あられましたら是非お目通し下さい。

 

 

 

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