熊本の塾長の日本史の授業|明治維新はこうして起きた!日本を壊そうとした坂本龍馬と、日本を守ろうとした阿部正弘|熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミー

こんにちは。熊本の教育&勉強攻略アドバイザー、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です。

 

 

今回のテーマは皆んな大好き明治維新です。日本史の中でも大注目の一大イベント明治維新。好意的に見る人もいれば、私のように斜に構えて見る人もいるでしょう。不思議な魅力の詰まった歴史的大事件であるこの明治維新の裏には、ユダヤの力と阿片戦争が大きく関わっていた、という話をさせていただきます。

 

 

熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミーは「真実の歴史」という観点からも日本史授業を行う変わった塾なので、少々陰謀論めいた話も出てくるかと思いますが、謎を解明するための仮説の一つとしてお楽しみ下さい^ ^

 

 

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熊本の塾長の日本史の授業:坂本龍馬に金を出した人物とは

陰謀論が好きな人の中ではもはや常識レベルとなっているのが、坂本龍馬に金を出した人物についてです。当時脱藩浪士という立場でありながら、全国を巡り、会社を作り、大量の武器を買って薩長同盟を成し遂げた彼の、金銭面を支えたのは一体誰だったのか。それこそ当時の藩という括りは国に等しいと言われるほど厳格で、藩をまたぐには関所を通らなければなりません。脱藩した立場で簡単に通れたはずはないし、何よりお金に余裕のある状態ではなかった彼が全国を巡り、ご飯を食べ、宿に泊まるそのお金は、一体どうやって捻出していたのでしょうか。

 

 

最もメジャーな仮説は、その金を出したのが長崎の出島を通して貿易を行なっていたスコットランド出身の武器商人トーマス・グラバーだったというものです。スコットランドは正に海賊がフリーメーソンに転じたとされる地であり、さらにはトーマス・グラバー自体もユダヤ系資本のジャーディス・マセソン商会の長崎支店を任されていた人物ですから、ユダヤ人の手が日本に伸びていたということになります。

 

 

先日ご紹介した、苫米地英人博士の『脱洗脳教育論』の中でもあったように、明治維新の薩長同盟側を裏から支援したのはイギリスで、幕府側を支援していたのがフランスでした。そしてイギリスとフランス両国に資金を貸し付けていたのがロスチャイルド家ですから、結局はどちらが勝ってもユダヤ人が得をするのであり、日本に国内分裂を促し弱体化させて乗っ取ろうとしていた、と解釈することもできます。ここが陰謀論と繋がってくるところです。

 

 

熊本の塾長の日本史の授業:阿片戦争が分かると明治維新が見えてくる?

一見直結してそうに見えない阿片戦争ですが、実は明治維新を理解するためには必須のピースです。阿片戦争を抜きを明治維新は語れません。

 

 

1840年から2年間に渡って引き起こされた阿片戦争。当時植民地インドで作った阿片を清国に流してぼろ儲けをしていたイギリスですが、危機感を抱いた林則徐に反発を受けて激怒。第一次阿片戦争に発展しました。その結果イギリスが清国を打ち負かし、世界初とされる不平等条約、南京条約を押し付けます。

 

 

これに便乗したのがアメリカです。1844年すかさずやってきて清国に対して望厦条約を押し付けます。これも南京条約とほぼ内容を同じくする不平等条約でした。これをきっかけに本格的にアジア進出を考え始めたアメリカの、その航路上にあったのが当時鎖国状態であった日本です。今では教科書的には「鎖国」という言葉は使われていないようですが、あまり積極的に外国と絡んでいない状態にあった日本を表現するのに分かりやすいので、ここではあえて「鎖国」を使わせていただきます。

 

 

さて、アメリカからすれば、別段武力を以って日本を開国させようという気はありませんでしたが、黒船4隻と12発の空砲は砲艦外交(脅しを用いた外交)で有利に事を運びたいという思惑だったことは確かでしょう。また、18世紀後半から19世紀にかけてイギリスから始まった産業革命によって、アメリカも工業化が進み、昼夜問わず工場を稼働させるために燃料である油が必要でした。当時の油は鯨から取りますから、鯨油を確保するためにも良好な漁場が欲しかったところ。それが日本の近海にあるということで、船の燃料や食料の補給のために中間拠点が欲しいアメリカの興味が日本に向いたのは必然だったのでしょう。

 

 

日本からすれば、隣国かつ大国だった清国が阿片戦争でイギリスに敗れたという出来事は国内に大きな動揺を呼んでいました。イギリスやアメリカなどの西洋列強の手が日本に伸びてくるのも時間の問題であると認識していたのです。当時日本は第12代将軍である徳川家慶の時世。しかし実質的に権力を握っていたのは老中首座だった阿部正弘(あべまさひろ)でした。ペリー来航に最初に対したのも阿部正弘だったのです。西洋列強の脅威に対して日本を開国するのかどうするのかを真剣に考えねばならないと警告を発していた彼は、「であれば海軍の育成が急務でしょう」と進言する勝海舟を登用するという功績も残しています。

 

 

熊本の塾長の日本史の授業:明治維新は宿命だった?日本の抱えた特殊事情

実はこの時の日本はもう一つ、かなり深刻なお国事情を抱えていました。飢饉と災害です。

 

 

日本では江戸時代末期の1833年から1839年にかけて天保の大飢饉という大規模な飢饉に見舞われていました。1837年に大塩平八郎の乱が勃発し、全国で打ち壊しや米騒動が起きたのがそれです。そんな最中に起きたのが1840年の阿片戦争で、隣国である大国清国がイギリスに敗れ、もうすぐそこまでイギリスが来ているという危機感がさらなる不安を引き起こしました。そして1844年にはアメリカが動き、1853年についに浦賀に黒船来航。砲艦外交に及び腰の徳川幕府を見て、薩長土肥をはじめとして多くの国民が不安を覚えたに違いありません。

 

 

「この幕府ではダメだ」

 

 

まだ続きます。なんと開国か攘夷かで揺れる江戸を1855年安政の大地震が襲うのです。M6.9とされるこの大地震は甚大な被害をもたらしました。流石に国民の疲弊もピークを迎えた頃、トドメです。なんと、それまで幕府内の開国派と攘夷派を上手いこと取り持っていた実力者・阿部正弘が1857年に亡くなってしまうのです。当然、緩衝材を失った両派閥は激しく対立。

 

 

こうして、イギリス、フランス、アメリカ、中国のそれぞれの動きが阿片戦争を中心にうねりを上げた頃、日本もまた国内で分裂状態となり、これらそれぞれの歯車が噛み合っていった結果、明治維新へと繋がっていくことになるわけです。

 

 

270年間戦争をしたことがなかった幕府は、100万にも及ぶ兵力を有していながら、1万5千というわずかな倒幕軍相手に押され、大阪城に控えていた徳川慶喜は逃走。その後起きた戊辰戦争を皮切りに日本を縦断するように殺し合いが起き、五稜郭の戦いで幕引きとなって晴れて明治へと時代が移り変わることになります。

 

 

不思議な魅力の詰まった明治維新。見方によっては全く異なる解釈があるように、世界の動きから見た明治維新もまた、歴史的必然であったかのような様相を見せています。今回の日本史の授業では多少陰謀論めいた話にも触れましたが、陰謀論という言葉でオブラートに包まれてしまえば「真実ではない」かのように見せられるものの、それが本当に真実ではない保証はどこにもありません。信じるか信じないかはあなた次第ですが、史実を紐解くだけでも見えてくる別の明治維新も楽しんでいただけたら幸いです。

 

 

 

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