熊本の塾長と数学、理科、歴史の授業|20世紀を生きた天才たちの近現代史!フォン・ノイマンはなぜ悪魔と呼ばれたのか!?|熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミー

こんにちは。熊本の教育&勉強攻略アドバイザー、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です。

 

 

このタイトルとジャケットに魅せられて即買いしてしまった今回の本『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』ですが、読み始めて分かるのは「あれ?タイトルと随分関係ない内容だなぁ」ということ。これは最初戸惑い、モヤモヤしてしまう原因となりましたが、それを我慢して読み進めていくと、徐々に天才たちのやりとりに引き込まれていきました。個人的には読了した直後「もう一度読み返したい」と思うほど面白い本でした。

 

 

ではフォン・ノイマンのどこがそんなに悪魔的だったのでしょうか。それを今回の記事の中で言及していきたいと思います。熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミー塾長からすると、これは文系の方でも数学理科の世界を楽しめる歴史の本だという感じで読みました。すると途端に違和感が抜けて素直に面白い内容として入ってきます。是非タイトルを忘れて頭を切り替えて読まれてみて下さい^ ^

 

 

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フォン・ノイマンと天才たち

この本に登場する面々はとにかく豪華です。フリッツ・フーバー、アルベルト・アインシュタイン、ダフィット・ヒルベルト、ニールス・ボーア、リチャード・ファインマン、オッペン・ハイマー、ヴェルナー・ハイゼンベルクなど、この世界を大きく飛躍させた天才物理学者、天才数学者、天才科学者の方々とこれでもかというくらいに登場します。いつの時代も、こういった天才たちが全力で突き進みながら、議論をぶつけ合って未来をこじ開けて来たんだなぁと感じざるを得ませんでした。それほど天才たちの息遣いすら聞こえて来そうなほど、臨場感のある近現代史です。

 

 

フォン・ノイマン自身は幼少期からすでに天才でしたが、周囲をジョークで和ませるようなキャラクターだったようで、タイトルから受ける印象とは随分と違うなというのが、読み始めて抱く最初の感覚でした。彼が悪魔的であるという文言が登場するのは後半の後半になってからですから、それまでは天才ぶりが刻々と語られていくばかりです。

 

 

そんな、誰もが天才(周囲の面々も十分天才にも関わらず、その天才たちに「本当の天才は彼だけだ」と言わせしめたほどの超絶天才)と認めるフォン・ノイマンは、ただ一人、不確定性原理を発見したヴェルナー・ハイゼンベルクだけは「自分よりも天才」と感じていたようです。自身がその誤りに気付く前にそれに気付き、さらに証明までされてしまった経験で、生涯彼はハイゼンベルクを自分以上の天才と認め続けました。

 

 

そんなフォン・ノイマンが生まれたのは1903年12月28日。つまり彼の人生を軸に繰り広げられる天才たちのドラマは、正に20世紀を通して描かれる壮大な近現代史ということになるわけです。

 

 

フォン・ノイマンが悪魔と呼ばれた理由

そんなフォン・ノイマンを悪魔と呼んでいるのは、この本の著者である高橋昌一郎先生。しかしその理由が明確に示されるのは随分と後半になってからです。

 

 

そのきっかけになっているのは、1945年8月に行われた広島、長崎への原爆投下に繋がるマンハッタン計画。レオ・シラードが行き着いた核の連鎖反応を膨大なエネルギー抽出に繋げて実現した新技術の研究開発です。もちろん、言い方を変えれば、マンハッタン計画とは原子爆弾を造る計画であったことは間違いありませんが、でも科学者たちからすれば、これまでなし得なかった核分裂と、そこから生み出される膨大なエネルギーをコントロールする技術を研究開発したということは、一つ歴史的な偉業を達成した感覚だったのです。その直後、その新技術によって大量殺戮が行われることを自覚した瞬間には、良心の呵責に苦しむ科学者たちが続出し、マンハッタン計画から離脱していきましたが。。。

 

 

アインシュタインに関しても、レオ・シラードの書簡を自身を通してアメリカのフランクリン・ルーズヴェルト大統領に原爆開発を推奨した立場ではあったものの、それで広島、長崎にあまりに酷いことをしてしまったことに対して、後日来日した際涙して後悔を語ったと言われています。

 

 

マンハッタン計画で中心的人物だったロバート・オッペンハイマーも、その後に続く水爆(水素爆弾)の研究開発には流石に加わることができず、その研究開発の危険性を訴えるほどになりました。理論上無限大に威力を増強できてしまう水爆は、もはや地球自体を破滅させるだけの脅威でしかありませんでした。原爆投下があった1945年からほんの10年後には、広島に投下されたウラン製爆弾リトルボーイに比して1200倍にもなる核爆弾が製造されていましたから、水素爆弾の威力たるや推して知るべしでしょう。

 

 

しかしそんな危険な大量殺戮兵器の研究開発にも、何の躊躇もなく突き進んだ天才がいました。それがフォン・ノイマンです。同じ研究に携わるリチャード・ファインマンに対して彼はこう言い放っています。

 

 

「その結果がどうなるかなど気にする必要はない。普遍的な意味における責任など、我々個人が考えることではない。」

 

 

この言葉にファインマンは大いに救われたと言います。しかし、正にこの思想を以って、高橋昌一郎先生は「フォン・ノイマンは悪魔である」としたわけです。

 

 

フォン・ノイマンは悪魔かはたまた純粋なる科学者か

1990年に出版されたマイケル・ クライトンによる小説を原作として製作された映画『ジュラシックパーク』。その中で語られていた言葉で私的に刺さった言葉があります。それは恐竜を現代に蘇らせることへの懸念を以って語られたこの言葉です。

 

 

「できるかどうかではなく、やっていいかどうかを考えるべきだろう」

 

 

フォン・ノイマンはその逆を思想として持っていました。やっていいかどうか、その結果がどうなるのか、そんなことを個人に過ぎない私たちが考えても仕方ないだろうというわけです。そして、そんなことが分かったところで、個人で背負い切れるものではない。だから責任とか貢献などという普遍的な思いなど抱く必要はないのだ、ということです。

 

 

できるのであればやるべきだ。この思いは、確かにある人から見れば悪魔的に思えるかも知れませんが、一方では純粋な科学者ゆえとも取れます。できることなら、倫理的、道徳的に憚られる(はばかられる)ことでもやってみたいと考えてしまうのが科学者の性(さが)とも言えます。おそらくフォン・ノイマンがやらなくても、中国やソ連は研究開発を進めていくでしょう。であれば結果は同じなのです。

 

 

マンハッタン計画にしても、当時のドイツの独裁政権ヒトラーのナチス・ドイツがユダヤ人の大迫害を行なったために貴重な人材の他国への流出を生じさせてしまいました。ユダヤ人の血を引く亡命者たちが、イギリスやアメリカといった別の地で天才たちと交わり原爆を開発していったわけですから、もしドイツがユダヤ人を迫害などしなければ、もしかしたらドイツが世界初の原爆を研究開発していたかも知れません。誰かがやらなくても、他の誰かがやるのです。遅かれ早かれ歴史は進む。であれば、個人の感情的な解釈で、与えられた機会を放棄することに意味があるのか。フォン・ノイマンが言いたかったのはそういうことではないでしょうか。

 

 

人間のフリをした悪魔、最凶の頭脳。彼をそう形容するのも分かりますが、でもそれが、純粋な科学者の在り方なのかも知れません。結局原爆の技術はその後一部は平和利用に転換されて原子力発電所となり世界中に建設されていきましたが、その効率的なエネルギー供給技術によって、日本もそれ相応の恩恵を受けたことも事実です。そこにどんな裏があろうが、歴史は誰かの手によって確実に前に進められていく。なかなか考えさせられる1冊でした。

 

 

 

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