熊本の塾長の日本史|ショック!古事記と日本書紀は創作と改竄だらけの歴史書だった!?|熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミー

こんにちは。熊本の教育&勉強攻略アドバイザー、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です。

 

 

今回の話は古事記日本書紀についてです。小学校でも中学校でも高校でも日本史の授業ではほぼ間違いなくこの2つの歴史書は取り上げられるものです。と言っても、今日のこの記事は学校で習う内容とは随分と切り口が違います。これら2つの書物はどうやら創作と改竄のオンパレードらしい!という話だからです。でもこれは陰謀論とか都市伝説といった類の話ではなく、リアルです。私たち日本人のルーツに関わる重要な話になると思いますので、是非この日本史の真実について一緒に考えて下さい。

 

 

熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミーでは、当然学校で習う”正式な歴史”とされているものにも対応しますが、どちらかというと今回のような裏面史とされる”正確な歴史”の方に特に重きを置いてフォーカスしています。学校では決して習うことのない真実の歴史は、学校を卒業した後の自助努力でしか辿り着けないものだからです。それは意図的でもあり、また教育現場の限界でもあるのですが、今回はそういった教育論の部分は抜きにして、古事記と日本書紀に関しての話を中心に展開していこうと思います。

 

 

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熊本の塾長もショックを受けた真実の古代史とは!?

私が辿り着いた全てをここでお話することはできませんが、その一部としてご紹介すると、今回の本『あらすじとイラストでわかる古事記と日本書紀』では専門家の方々の見解も交えて話が進んでいきます。あらすじを先に述べて、その部分に関する研究の結果、またあらすじがあって、そこに対する研究の結果という感じで、少しずつ進んでいく書き方です。

 

 

さらにこの本がいいのは、古事記と日本書紀を比べてくれている点です。古事記と日本書紀はほぼ同時期に完成した書物で、その編纂を命じたのはいずれも天武天皇であり、その両方に関わっているのが稗田阿礼です。触れられている内容もほぼ同じなのですが、その書き方とボリュームが全く違います。古事記は上中下の3巻構成なのに対して日本書紀は30巻にも及ぶ大スケールです。

 

 

ではなぜ同じ歴史に触れる書物を2つ作る必要があったのかというと、それは国内用のものと海外へのアピール用のものが必要だったからだとされています。古事記は国内の国民向けに制作され、天皇制の正当性(天皇制が必要であることを説明すること)、もっと言えば、今の支配者層と彼らによる支配体制の正統性(自分たちがトップに君臨していることの歴史的正しさを説明すること)を国民に示すためのものです。一方で日本書紀は海外、それこそ中国や朝鮮半島の国々をはじめとした外向けのもので、日本の由緒正しさをアピールする目的で制作されていると言います。

 

 

ではもっと掘り下げて考えてみると、そもそもなぜ元々あった『帝紀』『旧辞』を再編纂することが必要だったのでしょうか。この2つに関しては6世紀頃には完成していたのですが、古事記、日本書紀が編纂され完成したのは712年と720年。『帝紀』は天皇や支配者たちの系譜に関するもので、『旧辞』とは神話や伝説といったことが記載された書物だったのではないかとされていますが、現存するものがないため、古事記と日本書紀が現存する「最古」の、そして「正史」とされているもの、ということです。

 

 

じゃあその間の200年ほどの間に何があったのか。何かがあったから、新たな歴史書を編纂する必要があったということなのか。当時の支配者とは、権力を持ち実権を握っていたのは果たして誰なのか。そして本当の歴史とはどんなものだったのか。それを今の研究者の方々がどんどん掘り起こし再現するに至っています。

 

 

邪馬台国、ヤマト政権、卑弥呼、聖徳太子

歴史が古くなればなるほど資料が激減していくので、その真相が分からなくというのは仕方のないことです。だからこそ最終的には推理するしかない。だから色々なシナリオが出てくることになる。「これこそが唯一の真実!」というものは本来知り得ない彼方になっているという前提で考えていくことになります。

 

 

すると古事記と日本書紀には不自然な点がいくつかあります。その一つは邪馬台国の不存在です。

 

 

邪馬台国の女王卑弥呼は小学生でも知っている教科書の常連ですが、実は邪馬台国も卑弥呼も、古事記と日本書紀には全く登場してきません。やんわり「この部分がそのことなのかな?」という箇所はあるそうですが、国の名前も卑弥呼の名前も明記されていないのです。

 

 

確かに今でも邪馬台国のあった場所については明確になっていません。北九州説と近畿説がまだどちらが正しいのかの結論が出ていないのです。でも邪馬台国があったということは分かっていますし、卑弥呼がいたことも分かっているわけです。じゃあ古事記にも日本書紀にもない国と人が実在したとなぜ分かるのか。それは中国の歴史書にこれらが出てくるということと、国内で実際にこれらにまつわる遺物が発掘されているからです。

 

 

つまり古事記と日本書紀がどんなに「正史」だと主張しても、それ以外の資料との突き合わせによって矛盾が見えてくるということになります。すると実際にこの国の中枢だった邪馬台国や女王卑弥呼を「正史」から消したかった理由があったと考えられるわけです。つまり編纂には誰かの意思が影響を及ぼしているということ。

 

 

ちなみに今では聖徳太子も厩戸皇子とされています。かつては実在の人物とされていた聖徳太子も、今では実在したのは厩戸皇子であり、その人物に色んな逸話が融合されて別人が創られたというのが通説になってきたのです。

 

 

さらには、邪馬台国の後日本の中枢にとって代わったヤマト政権ですが、ヤマト政権自体も一体どこから出てきたのか、その詳しいところは分かっていません。突然政権を握っているのです。邪馬台国と卑弥呼の存在が中国の歴史書からも姿を消し、再び表舞台に日本が出てくるまでに350年ほどの空白期間が存在します。そこで突然現れるのがヤマト政権です。勿論神話の中には国譲りの話もあるし、大国主命(オオクニヌシノミコト)がアマテラスから遣わされた瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に政権を譲って自分たちは出雲に収まるという流れもあります。しかしそれを文字通り「神がいた」「戦うことなく禅譲した」という話ではないはずです。初代神武天皇についても実在した証拠は残っていませんし、実在したとされる最古の天皇は10代の崇神(すじん)天皇ですから、私たち日本の歴史には900年ほどの空白があるのです。

 

 

古事記と日本書紀を学校で習う意味

これほどまでに歴史書として疑わしい古事記と日本書紀ですが、それでも私たちにとっては一応重要な書物なので、学校で習うことまではします。というか、させてもらえていますが、実際にはもっと古事記や日本書紀の内容それ自体も戦前までは教えてもらえていたのだそうです。それがGHQによる戦後教育の時点でごっそり抜かれてしまった。私たち戦後教育しか受けていない世代にとっては、古事記と日本書紀を知っていても、その中身を読んで知っているという人が一気に少なくなるはずです。でも戦前の人たちは内容を今の人以上によく知っていた。なぜか。

 

 

それは連合国側、正確にはアメリカ側の意向として、日本人には皇国史観を忘れてもらわなければならないと思ったから。皇国史観、日本の天皇が万世一系で受け継がれてきたもので、その由緒正しい歴史を持つ日本の国の在り方と天皇の存在を中心に一致団結していこう!と訴えることに使われた思想ということですが、これが日中戦争から太平洋戦争に至る前の軍国主義教育を支えた根本思想であり、アメリカ軍を大いに苦しめた日本人の精神だという理屈で、GHQの占領下ではこれをまず日本から払拭することが実行されました。

 

 

でも実際古事記と日本書紀を読んでみて、さらにはそこに対する研究者の方々の現在の研究結果に触れてみると、古事記と日本書紀で書かれている歴史というのは創作と改竄ばかりであり、時の権力者の意向がガンガン働いているよねっていうことが分かる。

 

 

古事記と日本書紀がいつ、誰によって編纂されたのか、という歴史的事実を習っただけで私たちは学校という制度を卒業します。さらには、いやいや勉強させられてきた学生たちは卒業と同時に勉強(学び)なんてしなくなります。ましてや古事記と日本書紀の中身に触れてみようなんて学生もガクンと減るはずです。そしてそれはあらゆる知識について言える。すると学校で習ったことが結論になり、最後に触れた歴史になります。そこで歴史認識を作ってしまうと、日本人はいつまで経っても正確な歴史を踏まえた歴史認識を持てなくなるのです。そしてあまりに学校で習った内容と異なる見解を示されると「陰謀論だ」とか「都市伝説だ」という発想になってしまう。

 

 

しかし現実に古事記と日本書紀の時点で私たちの歴史は歪められています。当時権力を握っていたのは誰?天武天皇?いえ、当時この歴史書の編纂期に実験を握っていたのは藤原不比等(ふひと)とされています。父親は藤原氏の始祖、中臣鎌足です。乙巳の変から始まる大化の改新を中大兄皇子(後の天智天皇)と共に実行した人物ですが、実は今回の古事記、日本書紀の編纂の裏にはこの大化の改新に至る歴史も大いに関わっているのです。。。

 

 

が、ここら辺の話はまた改めてお話しします^ ^

 

 

 

 

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