浪人のプロが教える、長い1年の注意点とその対策法|熊本の塾コンサルタント
こんにちは。熊本の勉強戦略コンサルティング指導塾、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です。
今回は浪人のプロとして、これから始まる長い1年のリアルをお伝えしたいと思います。まだ経験していない方にとっては、前もって注意点とその対策法を把握されていた方がイメージがつきやすいでしょう。
ちなみに「浪人のプロって何?」と思われるかも知れませんが、おそらく私ほど浪人生活に詳しい人はそう多くないはずです。なぜなら何を隠そう私は、大学に収まるまでに4年間も浪人しているからです。あんまり自慢にもなりませんが^ ^;
浪人の種類
それではまず浪人の種類についてご説明します。私が体験した順番に挙げていくと以下の4種類が主な浪人パターンです。
① 純粋な予備校浪人(壺溪塾編)
② 大学在籍中の仮面浪人
③ 陸のアルカトラズ寮生活(北九州予備校編)
④ 全部自力の自宅浪人
熊本では代々木ゼミナールがなくなってからの浪人の選択肢は主に2つ。壺溪塾か北九州予備校ということになります。あとは博多までちょっと足を伸ばして代々木ゼミナールという選択もありますが、少し時間もお金も掛かる関係で、現状に合わせた検討が必要です。本当に熊本の予備校では事足りないのかどうか、それだけの労力やお金を掛けるのが妥当かどうかを考える必要があるということです。
なお、この「塾・予備校の選び方」についてはこちらをご覧下さい。
① 純粋な予備校浪人(壺溪塾編)
最初に体験したのは純粋に浪人と呼べるもので、誰もがスムーズにこういう発想になるよね、というパターンでした。選択肢は私の場合、当時はまだ北九州予備校が熊本駅前にはなく、逆に代々木ゼミナールがありました。が、母校の熊本高校は壺溪塾とのパイプが太いため、多くは壺溪塾を真っ先に選択肢として挙げる状況でした。実際同級生は多かったですね。
壺溪塾ではクラスに分かれて朝礼が行われます。センター形式の確認テストがあり、その場で採点。毎日点数化されるのが1日の始まりです。その後自分の取った授業に合わせて教室を移動しながら受ける、半分大学みたいなノリでした。
当時は今ほど建物が綺麗ではなく、古めかしい感じだったので(こういう風に書くといかにも昭和みたいな雰囲気ですが、当時は平成14年です)、今以上に浪人感がありました。浪人感というのは要するに「ああ、浪人してんな〜」って感覚です。
今はどうか分かりませんが、壺溪塾での1年は相当にぬるま湯でした。みんなどんどんテンションがぬるま湯になっていくんです。特に春めいてきて夏に差し掛かる梅雨の時期から、早ければGWの時期からテンションが下がる、緊張感が抜けていく人が続出します。授業中には普通に居眠りしている人が多くなります。
ただ、これは仕方ないことです。大講堂みたいな広い教室で授業となれば、前3列より後ろはもはや観客に過ぎませんので、特に後ろの方ともなれば指名されるリスクもほぼ0。寝ていても問題ありません。さらに大きな教室に人が沢山いるという状況は講師の声も響かない(マイクは使っていますが、服が音を吸収するので)。それに、そもそも黒板の文字が小さくて見えないわけです。内職するか寝るしかありません。緊張感を保ちたければ1、2列目に陣取ることです。
② 大学在籍中の仮面浪人
壺溪塾での1年の浪人生活を流されるように過ごした結果、なんとか鳥取大学の医学部に合格し、居を鳥取県鳥取市に移しました。が、そこで待っていたのはドドドド田舎(鳥取の皆さま、すみません)。アルバイト先も選べないほどの環境でした。なにせ日本で一番人口の少ない県ですから、熊本市内と比較しても田舎感が否めません(鳥取の皆さま、本当にすみません)。
そこで私の中には「ここで6年間は無理!」という結論に達し、早くも大学生活の前期が終わった段階で(親に黙って勝手に)後期の休学届けを提出。仮面浪人をすることに決めました(後期に入ってから親にはそのことを告げました)。「仮面浪人」とは、大学生のフリをして浪人行為を行うことを言います。
その時には大学の図書館で勉強したり家で勉強したりしていましたが、正直毎日ずっと勉強!なんて生活は不可能でした。自分の食事も洗濯も、あらゆることをしなければならないですから、買い出しついでに本屋で立ち読みしたり、家にいる時にはどうしても気が緩んで怠けてしまいます。そもそも後期からの半年間の勉強ですから、結局中途半端になってしまいました。
③ 陸のアルカトラズ寮生活(北九州予備校編)
この結果を受けて、私の現状を把握した両親は、このまま在籍させたままにするよりも、退学して仕切り直した方が私の性格に合っているだろうことを理解しました。私もそうしたかったので本心を伝えました。その結果選んだのが、当時「まさに監獄」と噂にあった陸のアルカトラズ、北九州予備校の寮です。
当時はまだ熊本駅前にはなく、私が通ったのは博多駅前校でした。寮は報恩学寮です。つまりこの1年間は福岡で過ごしたことになります。今となってはそこまでの距離感は感じませんが、県外で過ごすというのは程よい緊張感と覚悟のようなものを感じさせました。
寮生活は朝自習から始まり、その後朝食を食べてから予備校へ行き、授業後は門限までに帰宅し、その後夜自習を経て消灯という流れでした。これが週5で繰り返され、土日は基本寮で過ごすという感じでした。勿論、休みの日は外出は自由です。
博多駅には大きな書店もあり、ゲームセンターもあります。ちょっと足を伸ばせば徒歩でもキャナルシティーに行ける位置でしたので、ストレス解消は大抵カラオケか本屋巡りでした。
基本的に毎日が集団生活ですから、集団生活が好きではない方には相当なストレスフルな環境になります。勉強どころではなくなるでしょう。私はその点では程よく友人もできてリラックスして過ごすことができました。この時にできた友人には、一生の友も何人もできたくらいです。同じ釜の飯を食った同志、という感じだったのだと思います。個人的には良い経験でしたし、結論、点数だけでいけばこの1年が最も伸びました。
④ 全部自力の自宅浪人
寮生活の末、私が受けたのは前期東大理科3類でした。滑り止めとしてセンター利用で中央大学の法学部にも出願しました。結果は東大が不合格。中央大学の法学部には合格したものの、それも棄権しました。つまり、この時点で4浪目確定というわけです。
中央大学を蹴った理由は、単純にいく気がなかったから。私立はお金が掛かりますし、入学金だけでも24万円掛かる話でした(私はこれを払わず、入学資格を蹴った形になります)。それにここまで浪人に時間を費やしてきて私立に収まるのは私にはできませんでした。これは浅く言えばプライドですし、その後の将来を自分なりに考えたときに、やはり国公立に行っておきたいというのがあったからです。その理由までは明確ではありませんでしたので、ほぼほぼ感情論だったと思います。
そこで親には理解をしてもらって、自宅浪人をすることに決まりました。その時にはちょうど祖母の家に空き部屋があったことと、祖母が一人暮らしをしている関係で、私がそこに居座ることにメリットがあったことから、祖母の家で宅浪をすることになったのです。
実際浪人パターンの中で最も自制心を求められる宅浪ですが、私の場合も例外ではありませんでした。かなりキツかった。というのも、4浪目に入った段階で完全に私は勉強の目的を見失ってしまったからです。
それまでは半ば流されるように、そして使命感というか責任感で勉強に取り組んできましたが、それは言わば自分のための勉強ではなかったのです。誰かのために、親のために勉強していた。しかし、せっかく入った医学部も辞め、東大も届かず、一体何のために自分がここまでの時間を勉強に投資しているのか、全く見えなくなったのです。
それからの数ヶ月は勉強に手が付きませんでした。が、ただぼーっとしていたわけではありません。私は自分の目的を探しに本屋に赴き、答えを探していました。自分は一体何に時間を賭けているんだろうか。その無意識な部分、無自覚な答えを言葉にしたくて本屋に探しに行っていたのです。
そこで出会ったのが「ビジネス」という言葉でした。そしてこれが当時の私が最もピンとくる答えだったわけです。そしてさらに掘り下げてみると、そのビジネスの先には「自由」がありました。そうです。私は自由を求めていたのです。
このことがきっかけで一気に私の中で、バラバラだったピースがつなぎ合わされて行きました。勉強、受験、人生、歴史、社会、未来、自由、ビジネス。。。。こういったテーマがどんどん私の中で1枚の画になっていきます。そして勉強の目的が明確になった瞬間、私は覚醒し、受験攻略に一気に舵を切り直し、無事千葉大学に合格することができました。
浪人生活の辛さ、その対策
これだけ浪人生活を過ごしてきた私からアドバイスできるのは、浪人生活を確実に実りあるものにするための大事な気づきについてです。
特に桜の時期、GW、梅雨の時期、そして夏の暑さ。畳み掛けるようにお子さまに降りかかる試練。同級生はもう大学生になって大学生活を謳歌しようという輝かしいレールに乗っています。でも桜を見る度に胸が苦しいわけです。また振り出しか、と思えます。GWも遊ぶ気分になれません。というか、遊べる気分になるくらいなら、きっと浪人しても合格しないでしょう。そうやって、遊んではいけない、頑張らなくては、でも結果は保証されていませんから、どこまでやっても不安が拭えない。そうやって1年過ごすのです。かなり辛い。
、、、と解釈すれば、そういう辛い1年になるわけです。これは確かにそういう一面もありますから、あながち嘘とは言いませんが、よくやる追い詰め型の浪人イメージとなります。しかし、そんな辛い1年にしてしまっては、せっかくの浪人生活が伸び切りません。
全ては解釈の問題です。浪人するんだからしっかりやんなさいよ!という刷り込みをしてしまえば、浪人の1年はお子さまに重くのしかかります。が、実際そういうものではないのです。お子さまにとって必要な1年だから、浪人という結果になってしまっただけなんです。せっかく1年という時間を与えられたのだから、その時間を「自分が気付かなければならない何かのための大事な時間」と思って過ごしていただきたい。確かに不合格は辛い現実かも知れませんが、チャンスがいつもポジティブな姿で現れるとは限りません。それがチャンスだと気付けるかどうかなのです。浪人をチャンスと解釈できるかどうかが、勝利への鍵。辛い1年にしないで下さい。「覚悟」は要りません。必要なのは「理解」です。
もし浪人という大事なチャンスを確実に実りあるものにされたい方は、是非当塾ブレイクスルー・アカデミーにご連絡下さい。
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