熊本の塾長が掲げる2021年のテーマ、目標。そして94%の人達に向ける警告!「キミはまだ”そこ”にとどまるつもりか!?」|熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミー

こんにちは。熊本の教育&勉強攻略アドバイザー、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です。

 

 

あけましておめでとうございます。このブログにたどり着いた方は無事に2020年を生き抜いて来られた方です。そしてこれから始まる深刻な1年「2021」を一緒に生き抜いていく仲間でもあります。そんなあなたに向けて、熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミー代表の安東個人が今年掲げるテーマを共有したいと思います。パンデミック、大災害、そして戦争リスクに見舞われる過酷な1年になるかも知れないこの2021を、私はこのように迎え撃とうと考えていると伝え、その覚悟をあなたに是非感じて欲しいのです。そしてあなたにも覚悟を決めて欲しい。ここ数年は本当にそれくらいの時代になるかも知れないのです。

 

 

と、固い話ばかりになると重たいので、まずは今年1年をこんな感じで生きていきますという話から入り、最終的には「その発想のままでは危険ではありませんか?」という94%の方々に向けて警告を発したいと思います。まだ”そこ”にとどまり続けるつもりですか!?そこもう崩れてきてますよ!

 

 

それでは少しの間お付き合い下さい。。。

 

 

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2021年のテーマ「自己超克」とは

今年2021年の私のテーマは「自己超克」です。「自己超克」とはフリードリヒ・ニーチェが提唱した言葉ではありますが、私の掲げたそれがニーチェの意味するものとイコールかは分かりません。私は私なりの定義でこの「自己超克」を語ることにします。

 

 

例えばニーチェが意味した自己超克とは、

 

 

自己が置かれている現状を超えるような価値を創造したり道徳を形成することから、人間としての本来あるべき自己を形成していくということ

-wikipediaより引用-

 

 

とされています。「神は死に」、私たちは同じ人生を何度も繰り返す。来世はきっともっと良くなる、なんて考えていたとしても、あなたはまた今のあなたと同じ人生を繰り返し、今のあなたに降りかかった問題、課題は変わらず再び来世のあなたにも訪れる。つまりあなたは同じ失敗を繰り返し、同じ苦しみを繰り返し、同じ悲しみに打ちひしがれるわけです。とすれば、来世、再来世なんて言っていないで、今のこの人生でそれを乗り越えるしかない。それを成せる者が「超人」です。

 

 

人間は、神という人間を超える存在をあみ出し、その存在を自己を支えるものとしてきました。ということは、人間は自らを超えるものとして神を生み出したように、人間も、あなた自身もまた何者かを超える者であるということです。であるならば、その結果辿り着くものは単なる自己ではない。自分探しや自己の探求という類のものではなく、その意味を超える超人としての自己がそこにはあるはずです。

 

 

現状の自分にはない、全く別次元の自分。それは自己超越という外(上)への拡散ではなく、私が考えるのは内(下)に秘められた核心的自己です。私たちは、少なくても私個人は、余計な価値観を刷り込まれすぎている。考える必要もないことを考え、気にする必要もないことを気にし、する必要のない努力に駆り出されている。本当の自己を「あるべき自分」に覆い隠され、在りたい自分ではなく外行きの自分の像に自分自身が騙されている。そうやって無意味に、不毛に肥え太った”自分”の内側に、本来の純粋無垢な自己が、自己の存在を忘れたまま眠っている。

 

 

つまり私の掲げた今年のテーマ「自己超克」とは、本来の自分に立ち返ることにあります。それは原点回帰よりももっと深いところにあります。これまでの自分でたどり着ける深淵が原点回帰の終着点であるならば、自己超克はそこからが掘り進むスタート地点みたいなものです。私自身すら忘れていた本来の私に完全に立ち戻ることが今年のテーマということです。

 

 

自己超越の「自己」と、自分を超えるの「自分」

そもそもじゃあ「自己」と「自分」とはどう違うのか。

 

 

「自分」とは分けられたもの。分類です。他者との区分。世界を分断する国境線を意識したものが自分。他者ではない自分。その領域は私であり、それはTPOによって変化し、時にペルソナとも呼ばれるものが自分です。他と私を分かつもののことを「自分」と言います。

 

 

一方の「自己」とは、「己」が「おのれ」と読むように、自分自身のことです。それは必ずしも他者を意識したものではありませんが、他者を無視できぬまま振り返る自分自身であれば、それは広義の自己でしょう。私が強調したいのは狭義の自己。他者を全く意識せず、純粋に私を考えた場合の自己です。

 

 

自分とは「他者と私を分かつもの」と表現しましたが、それは裏を返せば「他者と私の関係性」という意味になります。「分かつ」と言いながらもそこには他者との繋がりが意識されています。切っても切れない関係性の中で、それでも意味を分けるために使う呼称が「自分」です。

 

 

しかし狭義の自己とはその関係性を断ち切ってしまわねば見えてこない世界です。他者の存在など全く無視して、完全に自分自身のことだけを考え、自分自身の直感的、本能的、衝動的なもの全てを肯定した先に見えてくるもの。だから自己を取り戻すためには孤独が絶対条件です。他者との関係性を断ち切り、自分自身の世界だけに埋没しなければならないからです。

 

 

社会とは他者との関係性の発露(はつろ)です。関係性、繋がりによって成り立っています。しかしそれは機能であって本来的なものではない。あなたはあなたであって、誰かのためのあなたではない。でもいつの間にか誰かのために生きている。誰かを気にして生きている。気にする必要ないのに。でもそれが社会の写鏡としてのあなたの生き方。そうやって長く生きてきたから、あなたはあなたの本来的なものを見失い、その上に余計なペンキを塗りたくって中身が見えなくなってしまった。最終的にはその中に自己があって、それを要らぬペンキで塗り潰して見える絵画にすぎないのに、その絵画を自分だと思い込んで疑わない。それが今の私。

 

 

人間は皆平等であることは自明の理だけれど、それはあくまでも本来的な意味であって、現実的には決して平等ではないのと同じです。この世は不平等だし、人の命は絶対的に不平等な扱いを受けるし、それが現実であって、でも誰の命も彼の命も平等であるという真理は否定できない。それも現実。どちらも現実だけれど、そのうち片方の現実など忘れ去られていく。両方揃って”リアル”なのに、片方失った価値観は単なる幻想に過ぎない。だから人の命が皆平等なんていうのは幻想に過ぎない。

 

 

見たくないこと、忘れたこと、今の自分の価値観とはそぐわないもの。そういったもの全てを純粋に受け止め、他者との関係性を全て断ち切って、完全に私一人の世界の中でこそたどり着ける核心。それが自己であり、そうすることを自己超克と言います。他者との関係性を断ち切るのだから、その行為には困難が伴うのは必然でしょう。その困難に打ち克ち本来の自己を取り戻すことが自己超克です。

 

 

2021年の目標と警告

自己超克には覚悟というより脱力が要ります。肩の力を完全に抜ききり、身体全体の余計な力みを取り払って、本来的な感覚に身を委ね、純粋に自分の心が震えるものをがっちり掴む。その練習を延々繰り返します。その「掴む」というのを2021年の間に5個達成する、それが目標です。私が「誰がなんと言おうとこれをやる!」というものを5個明確にし、実際にそれを達成するということです。これをしようと言うのには覚悟が必要なのです。ここが複雑です。超克するという決断には覚悟が必要ですが、それを実践する頃にはその覚悟、力みを取って脱力せねばならない。

 

 

最近FB(Facebook)で上がってきた広告に、スプリックス基礎学力研究所なるもののリサーチ結果がありました。世界11カ国22000名(日本、アメリカ、中国、インド、イギリス、フランス、ポーランド、タイ、インドネシア、マレーシア、ミャンマーの各1000名の生徒6〜15歳とその保護者各1000名を対象にした計22000名)を対象にした調査結果を見ると10歳未満の基礎学力の低さが特に顕著で、学年の基礎学力のなさが心配である、と強調されていました。アンケートの結果、やはり思考力や創造力には基礎学力が重要だと認識した割合が94%だったとのこと。

 

 

だから勉強しましょうってことでしょうか?

 

 

そもそも「基礎学力とは何か」を明確に定義付けできている人がどれくらいいるのかが気になるところです。学力と、学校などの勉強に関する点数評価をごっちゃにしている方が多いと思います。勉強ができるかできないかということと、学力というものを直結して発想する人たちを対象にすれば、こういう結果になってもおかしくありませんが、そもそも学力と勉強との関係性をしっかり認識させるだけの教育が施されているかが問題です。

 

 

勉強は大事だと人は直感的に思わされています。だから学力と勉強が直結しやすい。でも両者は実際、全くの別物です。学力は確かに重要ですし、基礎学力は絶対的に必要でしょうが、そこに勉強を繋げて考えるのは一面的なモノの見方に過ぎません。そしてこれからの時代は、これまでのように勉強して報われる可能性が限りなくゼロに近い時代になります。この極端なパラダイムシフトについて来れるかどうかが、今の子どもたちにはかなりのターニングポイントになるのです。

 

 

つまり今回のアンケートで「思考力や創造力には基礎学力が大事だ」と答えた94%の人たちは、その結果「やっぱり勉強って大事なんだ」と思ってしまうようであれば、かなり危険だということです。勉強は目的ではない、手段です。「勉強以外」をどれだけ幅広く許容できるかが、これからの時代を生きる上で重要な発想になります。そしてそのためには、他者との比較から脱却し、”この子”にとって、自己にとってどういう生き方にしたいかというテーマ設定が欲しい。

 

 

ここに自己超克が関わってきます。

 

 

学校教育によって「競争」とか「他者との比較」が習慣化させられてきました。しかし人と比べて勝ったり負けたりという発想そのものが、”余計なペンキ”だったわけです。このペンキの下に塗り込められている本来の自己に気付くこと、その自己を明確にして、その自己の通りの生き方を模索すること。それがこれからの時代に本気で求められていることだと私は考えています。だからこそ2021年は自己超克が達成されなければならないのです。

 

 

私のテーマ、目標が、これからの時代の教育に直結したものでもあることをご理解いただけると、「これまで」を捨てて「これから」を真剣に考えなければならないとお分かりいただけるのではないでしょうか。

 

 

あなたの2021年のテーマ、目標はなんですか?

 

 

長文にお付き合いいただきありがとうございました。今年一年も史上最高を目指して突き進みましょう!

 

 

 

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