熊本の塾長は映画を観るのも本気です(笑)『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』にどう備えたか!?|熊本の学習塾ブレイクスルー・アカデミー

こんにちは。熊本の勉強戦略コンサルティング指導、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です。

 

 

先日ハリーポッターシリーズ最新作である『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生(原題:The Crimes of Grindelwald)』を鑑賞して来ました。以前『アベンジャーズ/インフィニティーウォー』鑑賞時にもらっていた1000円チケットの期限が11月30日までだったので、観たい映画が期限内にあってラッキーでした。約半額で観れますからね^ ^

 

 

これは職業病なのかも知れませんが、私の場合こういった時にも結構予習を欠かしません。映画のあらすじや関連サイトを事前に当たって情報を集めて、今回の映画の裏情報を知った上で観に行きたいと思ってしまうのです。

 

 

そこで今回は、熊本の個別指導型学習塾ブレイクスルー・アカデミーの塾長が、どんな準備をして今回の映画『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生(原題:The Crimes of Grindelwald)』を鑑賞して来たのかについてお話ししようと思います。このことが、実は目の前の勉強に関する予習復習方法に参考になるのです。

 

 

『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』とは

まず今回の作品の大まかな情報と、そのストーリーに関する情報を集めることから始めました。これが予習です。

 

 

今回の作品はハリーポッターシリーズの最新作という扱いなので、もちろん原作はJ・K・ローリングさん。さらに今回は映画の脚本自体にも関わっているということで、作品自体の描写や場面、構成にも、かなり凝った仕掛けが数多く為されています。ちなみにこれまでの『ハリーポッター』作品に関しては、J・K・ローリングさんは脚本に関わっていません。つまり、ファンタビは脚本に直接原作者が絡むことで小説そのものと同じような臨場感を映画に込めることができているわけです。

 

 

映画としては今回の作品はハリポタ8作品+ファンタビ2作品の最新作扱い。小説でカウントしても、ハリポタの最新作『ハリーポッターと呪いの子(原題: Harry Potter and the Cursed Child)』までの全8作品の後の作品であり、スターウォーズシリーズのように時系列が遡る構成です。ファンタビ全5部作のうち第2部作目という位置付けにもなります。

 

 

さて、これまでのハリーポッターシリーズをお好きな方であれば、きっと何度も本を読み、映画を観られていると思うのですが、意外とその内容って記憶には残っていないのではないでしょうか。というのも、実は今回の『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生(原題:The Crimes of Grindelwald)』のメインキャラクター「グリンデルバルド」は、本作品が初登場ではないからです。私はすっかり忘れてしまってました。

 

 

まず最も多くその名前が登場したのは、『ハリー・ポッターと死の秘宝(原題: Harry Potter and the Deathly Hallows)』のPart1。リータ・スキーターという人物が書いた書籍『ダンブルドアの真っ白な人生と真っ赤な嘘』に写真付きで記載があったもの。そして実際に死の秘宝Part1の作中でニワトコの杖を探し回るヴォルデモートがグリンデルバルドの元を訪れるシーンがあるので、実はすでにシリーズ内にしっかり登場していたというわけです。ちなみにリータ・スキーターの書籍にあった若き日のダンブルドアとグリンデルバルドを演じた二人は、本作品にも同じ役で登場しています。

 

 

ダンブルドアは同性愛者だった!?

お詳しい方なら色んな情報をお持ちだと思うのですが、改めて調べてみると「へ〜」と思う情報がいくつも出て来ました。

 

 

例えばダンブルドアはグランデルバルドのことを”恋愛対象として”愛していたということ。これは直接的な描写では描かれていませんが、作中での言葉や場面の解釈によっても気付けなくもないものです。しかし前情報として知っていると、映画を観ていく中で、登場人物がその言葉を選んだ理由や取った行動の意味、その場面の深みが感じ取れます。

 

 

ダンブルドアがそうした不戦の契りまで交わした愛した相手を、いずれは倒す運命にあるというストーリーまで知っていると、また深みが増して来ますね。ちなみに1945年に二人が決闘し、ダンブルドアがグリンデルバルドを打ち破ったという出来事は、ハリーポッターシリーズの第一作『ハリー・ポッターと賢者の石(原題: Harry Potter and the Philosopher’s Stone)』ですでに”明かされて”いるようです。

 

 

例えば別の話で言うと、主人公ニュート・スキャマンダーは、ハリーポッターたちが生物学で教科書として使っていた『幻の動物とその生息地』の執筆者であり、その孫ロルフ・スキャマンダーが、ハリーポッターの友人ルーナ・ラブグッドといずれ結婚することになるという設定まであります。二人の間には双子が生まれるようです。

 

 

作中に登場するリタ・レストレンジとニュートの関係は一言で言えば複雑で、学生時代の恋人?親友?といった間柄でした。彼女の実験が他の生徒の命を危険にさらしたという理由で退学処分になりかけた際、ニュートが身代わりになったという経緯があります。彼女がホグワーツに戻った際、教室のオルガンの蓋を開けた裏には「L→N」という意味深な文字が掘られている描写がありました。ちなみにその横には死の秘宝のマークも。

 

 

他にも色々調べて分かったことがありますが、こうした情報があるのとないのとでは、やはり映画を観た時の感覚がまるで違って来るものです。

 

 

なぜ映画でさえも予習してしまうのか

別に予習をしなければならないものではありませんよね。映画は映画。娯楽なのだから普通に楽しめば良いのかも知れません。しかし私は「もっと」楽しみたいと思ってしまうのです。

 

 

東京に出張に行く際にも、東京ディズニーリゾートに行く際にも、X JAPANのライブに行く際にも、必ず私は事前に下調べをしてあらゆる情報を持ってから現地に向かいます。それは「そうしなければならないから」ではなく「そうしたい」からで、なぜ「そうしたいのか」と言うと、それは「その方が楽しいから」と言う他ありません。私は何事も精一杯楽しみたいのです。

 

 

今回の映画でも、映画自体を予習ゼロで楽しむことはできます。何も下調べがなくても、その作品の迫力やストーリーを純粋に楽しむことはできるのです。それでも十分ですし、わざわざそれ以上を求める必要もないのですが、「知っている」というたったそれだけで、見えるものが全く違ってくるのです。これは体感していただかなくては分からない感覚かも知れません。

 

 

少し専門的なことをお話しすると、人というのは意識したものしか認識できないという性質があります。脳は高性能ですが万能ではないので、視覚情報にしても「一応」視界には入れますが、その全てを脳に送って処理し、認識するかといえばそうではありません。視覚情報全てを脳処理していては脳の負荷がとんでもないことになってしまうため、脳は「全部見せるけど、意識したものだけしか脳に情報を送らないでね」というルールを敷きました。つまり私たちは、意識的にせよ無意識的にせよ「気になったもの」だけを脳で認識しているということになります。私たちは全体を認識しているのではなく、情報を取捨選択して部分的な情報をつなぎ合わせることで世界を見ている、ということです。

 

 

ですから同じ場面を観せられても、ニコラス・フラメルという人物はかなりのおじいさんなんだな〜と思うだけなのか、ニコラス・フラメルという人物がこれまで小説の中でも映画の中でも文字でしか登場して来なかったレアキャラで、ダンブルドアと賢者の石を研究していたことですでに第1作目の『ハリー・ポッターと賢者の石(原題: Harry Potter and the Philosopher’s Stone)』に登場しており、彼が本作で本を取り出す場面で赤く輝いていた物体が賢者の石であることまで認識できるかで、まるで映画の楽しみ方が違ってくるわけです。

 

 

X JAPANだって、何も知らずに観に行けば、他の有名なバンドグループと同じようにしか見えなかったかも知れません。しかし彼らがこれまで辿って来た歴史というか経緯を知って、再結成が絶望的とされながらもTOSHIの復帰までYOSHIKIが守り続けた奇跡のバンドグループであり、その背景には親友との関係性がものすごく深くつながっている、どこまでも人間味のある最高のチームなんだと分かって曲を聴くのとでは、やっぱり違うのです。彼らの曲の裏にあるドラマが分かっているファンからすれば、この1回1回のライブが奇跡そのもの。だからメンバーとファンとが互いに信じ続けた今に「We are X」が心の底から響くわけです。

 

 

まとめ

必ずしも必要ないけれど、プラスアルファが目の前の世界の見せ方を大きく変えます。それが予習であり復習だったりするわけです。勿論勉強という作業にそこまでのドラマは期待できないでしょうが、自分の成績を伸ばすという表面的な目的の裏で、英数国社理で学べるあらゆる情報を味わい尽くそうという意識があれば、勉強は学びに昇華し、必ずそれは結果として反映されることでしょう。

 

 

予習をしなさい、復習をしなさい。そんなことは言われなくても分かっているし、うるさいなぁと感じるものです。ただ、それが自分の楽しみのためになるならば、少し見え方が変わるかも知れません。面白くもない授業も、予習をすることで分かることが増えて行く。復習することで自力で解ける問題が増えて行く。分かることが増えれば増えるほど、授業もまた分かるようになり、そのうち授業を超えた知識が優越感を生んでいく。

 

 

予習はしなければならないものではありません。復習だってそうです。ただ、それでもやるのはなぜなのか。それは、その方が断然楽しいからです。今をもっと楽しむためにすればいい。楽しんでれば、結果がそれに応えてくれます。あとは結果がどれくらい欲しいかどうかです。何を楽しみ、どんな結果のために何をするのか。その一環として、もう一度予習と復習を捉え直してみてください。

 

 

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